管理される「市(いち)」
都市
「都」と「市」で都市だ。
「都」は政庁。「市」は文字どおり「市(いち)」のことだ。
「市(いち)」は都市の母だ。
だから「市」だけは、原義を「新聞ダネになるような大事件」に由来し
それゆえに正確には「擬似イベント」といわれる非日常なイリュージョンとは別して考えた方がいい。
「市」はまちの日常だ。
だから「四日市」「五日市」「十日市場」など、各地に「市」が地名になった場所がある。
だから、再開発地のインドアな「メッセ会場」などで行われるマルシェなどには抵抗がある。ああいう会場は、企業ビジネスの情報交換に特化してつくられた施設だし、それゆえに自然とも切り離されて、つまり「空」がない。
祭り縁日には「空」がある。輪島や七尾の市にも「空」がある。背景は、人々が暮らす街並みだ。
それに対して、メッセ会場で行われるマルシェは「都」の軍門に下って管理されるようになった「市」という感じがする。
高層のビル群、メッセ会場、競技場、暮らしている人が誰もいなくてショッピングとエンターテイメントしかないショッピング・モール。みんな「都」な空間だ。
その空間に呑まれていく「市」。だから人々の暮らしも呑まれて「管理」されていく。
(マンションの管理組合は自虐的ですらある)
再開発地こそ「市」を欲しがる。積極的に、自らのイベント・メニューに組み込む。でも、それはあくまでも「イベント」だ。
日常とは繋がっていない。
「市(いち)型イベント」と、ほんとうの「市」と。
開催期間が終われば、撤収されて跡形もなく消えていく消費材の塊なのか。やがては仮設を卒業して、その地で店舗になる者が現れるのか。
「空」があるのか、背景に人々が暮らす等身大の街並みはあるのか。
僕は案外わかりやすいと思っている。