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そんなもんなんだ

川本三郎さんの著作「向田邦子と昭和の東京」(新潮新書/新潮社)に、こんな一節がある。序章が始まってすぐのところ。

昭和二年(一九二七)生まれの作家、吉村昭は随筆集『昭和歳時記』(文藝春秋 一九九三年)の中で書いている。
「昭和三十年代は、日本の生活史上、重要な意味をもっているように思える。江戸時代から明治、大正、昭和へとうけつがれてきた生活具や習慣が、この時期にかなり消え去っているのである」
たとえば蚊帳、物干台、汲み取り式の便所、おひつ、卓袱台(ちゃぶだい)、とりあげてゆくと切りがないほどに、祖父母や両親の時代に使われていた生活具が消えていっている。

しばらくあって…

日本は昭和二十年(一九四五)の敗戦によって政治のシステムは大きく変わったが、実は人々の暮らしのかたちは、さして変わらなかった。戦前と連続して、相変わらず〝卓袱台のある暮らし〟が続いていた。

と。

うちのオヤジも「東京を壊したのは空襲じゃぁねえ、オリンピックだ」が持論だったけど(ここでいう「オリンピック」はもちろん1964年開催の東京オリンピック)、この国に継がれてきた生活文化を殺したのは、やっぱり「テレビ、冷蔵庫、洗濯機」を「三種の神器」などと呼んだ、あの高度成長期だったんだと思っている。

僕は1961(昭和36)年の生まれだから、それ以前を体験しているわけではない。でも、久世さんが描く向田邦子ワールドや、戦前の庶民を描いたTVドラマなどを見ていると、登場人物が日常を詠うように暮らしていて、それに比べれば、僕らは、ただモノを買って消費することだけに生きているように思える。困れば「買ってくる」。つくらないで「買ってきて」食べる。お金を払わないとレジャーができない。なんだか、もの悲しい生活ぶりであるような気がしている。

でも、そんな戦中と戦後は、政治体制としては地続きだった。

安倍さんのおじいちゃんが基礎を固めた「戦時体制」。それを、その弟さんが仕上げて高度成長期。愛国者然としている彼らをして、この国の文化、少なくとも市井の生活の中に息づいてきた文化を殺している。

戦時体制下でもそうだったし、戦後もそうだ。殺してきた。

でも、僕らは、未だに、あの日、テレビがやってきた「三丁目の夕日」の家族やご町内の人々のように浮かれている。で、また無観客のオリンピックに、大枚叩いて競技場を造らせて黙っている。今度は大阪万博だ。なんだかんだいって、大半の財源は、僕らから巻き上げた税金だっていうのに。

僕らは、ケージの中で卵を産み続ける「白色レグフォン」のように声帯を切られてしまっているからなのか。

安倍さんは岸さんのお孫さん、明らかに仕上げにかかっていた。
正確には、彼っていうより、彼の周囲や裏側にいる人たちだろう。
安倍さんは、お母さん思いの、あんまり勉強ができないボンボンだ。

今、抵抗勢力は頑張っている。「国民投票法」成立の刹那だからだ。でも、戦中・戦後を牛耳ってきた安倍さんたちの「流れ」には力がある。安倍派が解体しても、それは表層上のことだろう。

まだ、この国は「新しい戦前」に向かって、時計の針を進めている。

ロシアが勝って、トランプさんが復権したらどうしよう。
それよりなにより、どこもの国が中心はグラグラで、どこもかしこもが二極化にあえいでいる。

一触即発だ。

そこをどうやって生きていくか。

結局、システムに頼るのではなく自律的に生きていくしかない。
食料は自分で生産し、近隣に、生活を助け合える「ともだち」をつくること。

前の「戦時中」もそうだった。配給には頼れなかったし、「買い出し」に出ても大切な着物を買い叩かれるだけ。

いずれにしても、誰もが動き出す前に準備を終えておかないと巻き込まれるだけだ。

今、ここにいるのも、わが家が日米開戦前から「疎開先」を用意してくれていたことによる。

不足を実感してからでは遅い。そんなもんなんだ。