そんなもんなんだ
川本三郎さんの著作「向田邦子と昭和の東京」(新潮新書/新潮社)に、こんな一節がある。序章が始まってすぐのところ。
しばらくあって…
と。
うちのオヤジも「東京を壊したのは空襲じゃぁねえ、オリンピックだ」が持論だったけど(ここでいう「オリンピック」はもちろん1964年開催の東京オリンピック)、この国に継がれてきた生活文化を殺したのは、やっぱり「テレビ、冷蔵庫、洗濯機」を「三種の神器」などと呼んだ、あの高度成長期だったんだと思っている。
僕は1961(昭和36)年の生まれだから、それ以前を体験しているわけではない。でも、久世さんが描く向田邦子ワールドや、戦前の庶民を描いたTVドラマなどを見ていると、登場人物が日常を詠うように暮らしていて、それに比べれば、僕らは、ただモノを買って消費することだけに生きているように思える。困れば「買ってくる」。つくらないで「買ってきて」食べる。お金を払わないとレジャーができない。なんだか、もの悲しい生活ぶりであるような気がしている。
でも、そんな戦中と戦後は、政治体制としては地続きだった。
安倍さんのおじいちゃんが基礎を固めた「戦時体制」。それを、その弟さんが仕上げて高度成長期。愛国者然としている彼らをして、この国の文化、少なくとも市井の生活の中に息づいてきた文化を殺している。
戦時体制下でもそうだったし、戦後もそうだ。殺してきた。
でも、僕らは、未だに、あの日、テレビがやってきた「三丁目の夕日」の家族やご町内の人々のように浮かれている。で、また無観客のオリンピックに、大枚叩いて競技場を造らせて黙っている。今度は大阪万博だ。なんだかんだいって、大半の財源は、僕らから巻き上げた税金だっていうのに。
僕らは、ケージの中で卵を産み続ける「白色レグフォン」のように声帯を切られてしまっているからなのか。
安倍さんは岸さんのお孫さん、明らかに仕上げにかかっていた。
正確には、彼っていうより、彼の周囲や裏側にいる人たちだろう。
安倍さんは、お母さん思いの、あんまり勉強ができないボンボンだ。
今、抵抗勢力は頑張っている。「国民投票法」成立の刹那だからだ。でも、戦中・戦後を牛耳ってきた安倍さんたちの「流れ」には力がある。安倍派が解体しても、それは表層上のことだろう。
まだ、この国は「新しい戦前」に向かって、時計の針を進めている。
ロシアが勝って、トランプさんが復権したらどうしよう。
それよりなにより、どこもの国が中心はグラグラで、どこもかしこもが二極化にあえいでいる。
一触即発だ。
そこをどうやって生きていくか。
結局、システムに頼るのではなく自律的に生きていくしかない。
食料は自分で生産し、近隣に、生活を助け合える「ともだち」をつくること。
前の「戦時中」もそうだった。配給には頼れなかったし、「買い出し」に出ても大切な着物を買い叩かれるだけ。
いずれにしても、誰もが動き出す前に準備を終えておかないと巻き込まれるだけだ。
今、ここにいるのも、わが家が日米開戦前から「疎開先」を用意してくれていたことによる。
不足を実感してからでは遅い。そんなもんなんだ。