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おでん

コンビニおでんがはじまった。

でも 僕は

コンビニで「おでん」を売ってる風情が「都会の孤独」を象徴しているように思えて、あんまり好きじゃない。特に冬、深夜の「コンビニおでん」は寂しい。もちろん、それなりに出汁にも凝り、具材にも凝りして、きっと美味しいんだろうけれど、「おでん」こそは、それをつくったおばちゃんなり女将さんなり、屋台のおじちゃんなり、そうした存在があったればこそとおもっていて、ちょっと空虚なものに思える。

(そんな、おでん屋さんなんて、今は絶滅危惧種だけど)

でも「おでん」といえば「コンビニのもの」しか知らないという方もたくさんいらっしゃるんだろう。そういうみなさんにとっては、この空虚な「おでん」がスタンダード。何の違和感もないんだろうとも思う。もちろん、サウダージな喪失感もない。

核家族さえ、子どもたちが思春期になれば解散状態だったり、家族も小ぶりなものか、単家族になってしまえば「おでん」をつくっても美味しくはならないにだろう。それ度当然だ。
単身な高齢者にとっては、コンビニおでんがサウダージな美味を彷彿とさせてくれる美味しさだともいう。確かに、我が身一人のために「おでん」は面倒臭い。

でもね。

屋台「おでん」を囲む「場」はね、都会暮らしのデラシネたちにとって、オアシスだったし、「わが家」的なぬくもりを確認できる場でもあった。そういうものがなくなってきちゃったから、コンビニおでんファンに一人暮らしになったお年寄りが増えているのは切ないことでもある。

個人経営の居酒屋さんなどでは、おでんを始める店が増えてきているともいう。つまり、まだ地下水脈としては「あの頃のおでん」健在なのかな。

これからの都市では、孤独がスタンダード。
みんなで食べる「おでん」。いいと思うよ。それを知らない人にとっても。