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千年に一度

1964(昭和39)年の東京オリンピック。その大会で金メダルをとった女子バレーボール・チームは「東洋の魔女」と評され、この大会で国民的な話題を集めたのヒロイン(ヒロインたち)だった。ソビエト連邦(当時)チームとの決勝戦のテレビ視聴率は66.8%(関東地方)。

監督だった大松博文氏の「なせば成る」「俺についてこい」は流行語になり、それらの言葉をタイトルにした著書もベストセラー、映画化もされ、彼は参議院議員にもななった。今だったら強引ともいえるような監督がいて、選手たちは彼のスパルタに耐えながら、チーム一丸となって最後は金字塔のような目標を達成し、涙で終わる。THE スポ根もの、と。

でも、これは工業生産時代であり、集団生産にプレミアがあった時代だからこその美談であり垂涎の的となる物語。同じチーム・スポーツでも、現在のサッカーやメジャー・リーグの野球、ワールド・ベースボール・クラシックのように、それぞれの個性がハーモニーを奏でるようなものとは異なる世界のもの。前の東京オリンピック当時は、選手の個性も、あくまでも「チームの一員」としてのそれだったし、移籍する選手は裏切り者か、成績が悪いからチームに残れないといったイメージなもので、チームに準じる「部品」になってこその選手だった。

(当時の日本プロ野球の選手なども、そうでしたね)

農業において集団生産がはじまって以来、ずっと「みんなが力を合わせて」が戦力になる時代が続いてきた。ひょっとしたら弥生時代以来のことかもしれない。もちろん工業生産も、近代な産業のほとんどが「みんな」の統制力で生産効率を高めてきた。

しかし、いつしか省力化といえば、働く人間を減員しての機械化を指すようになり、そして、ついにはAIの登場というわけ。あゝ…

音楽業界ではデジタルな楽器の登場から、すでに大半のスタジオ・ミュージシャンやバンドマンが職を失い、ホテルやクラブのピアノ演奏も「無人」に置き換えられ、今やDTMの時代。印刷だって、イラストレーターなどでデザイン・データをつくれば、あとは刷版を作ってもらって印刷するだけ。写植屋さんや、印刷屋さんの取次営業マンも「減員」の対象 になってきた。

多数決の「多数」に値打ちがあったのは「みんな」にプライオリティがあったから。それ故、その多数がベイシック・インカムで社会的な扶養家族になってしまえば「多数」の力強さも失せてしまう。知価(情報)生産時代になれば、たった一人の変わり者の方が、たった一人だからこそ労働生産効率のよい稼ぎ手にもなるという…

たぶん、千年に一度 というような大変化期。
もちろん「オレのせい」じゃないんだけれど。

でも、この時代についていかなければなりません。落伍しても高度に発達した医療が生命だけは維持しちゃうでしょうからね。医療こそ、大手を振って公費を突っ込むことができるビジネス。ベッドに縛り付けられて「生かされ」てしまう可能性が高い。

「生きている」こと自体が誰かのビジネスのネタにされる…

僕らは、もう、そういう時代に直面して生きている。