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私の「自我」

まずね。「生まれたい」と希望して、この世に生まれてきたわけではない。その上で、生まれてくる「親」も「家も」選べない。
僕はこうやって始まる人生が、僕の任意になるわけはないと思っている。「死」も同様だ。いつ死ぬかわからない。

地球なのか、宇宙なのか
生きとし生ける者は、そういうものに使い勝手される道具に過ぎないのだろう。最近はそんなふうに思っている。

でも、それならそれでいいやと思っている。

近代的自我というくらいで、中世には「私」というものが、もっと不明確だったのだという。

その方が楽だったのかも。

「私の自我」ってノイジーだったのかもしれない。「私」って面倒だ。自分でもわからないし。

ルネサンスが人類の誤った妄想だったのかもしれない、と。

だから、今の僕は、僕の意思や希望より自然に任せればいんだと思っている。環境が要求することを読んで「はいはい、そうすればいいんですね」とそうやって死ねるまで生きていけばいいんだなと。

(だから、僕は「死」を「めでたい卒業」だと思っている)

こう考えるようになったのは、やっぱり脳出血で倒れてから。
当時、仕事上で四面楚歌の状態にあって、死にたかった。
それなのに、案外、重篤な脳出血だったのに、頼みもしないのに助かった。
口がきけないうちに助けられた。
しかも、今も消えない「後遺症つき」だ。
右手は12年たっても、痺れっぱなし、複視、自律神経の失調、右脚も元にもどったわけではない。

「私の命」は「私のもの」ではないなと思った。

近代的自我的に幸せになろうとするのを止めた。

「自分」という環境、「社会」という環境を見渡して、「散歩ならできるな」と思えば、散歩する。でも、自我が「旅に出たい」といっても、それは無視する。
仕事上でも、孤立して、自分としては辛いんだけど、そっちへ行けというならそっちへ行く。ジャニーさんや宝塚、日大で起っていることとなどで流れは合ってることはわかる。

そんな感じ。

でもね。

そうすると楽なんだ。
不思議とストレスは貯まらない。

リアルな生活圏に一人も友だちがいなくても、SNSは素敵な出会いをくれる。そして、毎日、生活圏では決して出会うことがない人々とのコミュニケーションを愉しんでいる。

「畑」が、本格的になったのも流れに拠る。探していて見つけたのではなく、予期せぬところから、ほんとに話はトントン進んだ。

(こういうときは流れに合ってるんだろうなと思う)

「なせばなる、なさねばならぬ何事も」的に自分の信念を押し通すのも止めたし、社会も、自分を信じるのも止めた。

今は、地球高、宇宙高に、どうとでもしてくれと思っている。
でも、そうするとストレスからはずいぶんと距離を置くことができた。

世間からは「へそまがり」で一向にかまわないと思っている。
カジュアルな「明鏡止水」だな。

これでいい。