見出し画像

流れだな

自家用車を止めたのは30年以上も前のことだ。10人以上のアシスタントとの協働を止めてコンピューター・ソフトとの協働を模索しはじめたのは、90年代の後半のことだった。この頃、仕事部屋を廃して「自宅で居職」にした。

(当時は「SOHO」=Small Office Home Officeという言葉が少し流行ってたかな。語釈は「パソコンやインターネットを活用して、自宅など小規模のオフィスで仕事をする形態」だそうだ。そういう形式を踏襲しようと思ったわけではないけれど、今にして思えば、ある流れだったんだろう)

でも「アシスタントとの協働を止めて」で、業務に使う時間は半減した。行き違いもないから「結果」のクオリティも上げられる。アシスタントなんだから独立してやっていけるような技量があるわけではないからね。きっと、僕が「教える」が苦手なせいもあるんだけど。

だんだん、今でいうリモートワークみたいな状況にもなった。
実際に「会う」のは、初めての人を含めて年間で40件あるかないか。だいたいのやりとり(打ち合わせ)はメール。それで済んじゃってたから「後にZOOM」ということも、あんまり。あれ、時間合わせなきゃなんないでしょ。僕らの場合、たいてい二人か三人で仕事を進めちゃうから「話し合って結論を出す」みたいなシチュエーションはあんまりなくて。まめにメールをチャックしてればね。

(そういう感じなら、iPadがあれば、どこにいても、何時だろうと仕事は進められちゃうしね)

2010年に脳出血で倒れてからは「リモートワーク的な」が定着して今日に至ると。片麻痺なんで受話器とっちゃうとメモが取れないんで、電話も遠慮してもらってるから、ホントにメールのみ。仕事部屋は静か。急に僕の時間が他者に切り裂かれることもなく、おだやかに過ごしている。
倒れて動けるようになってから大学院に進学したのでリスキリングも10年前には経験済みんだろうな。進学は50歳を過ぎていたから

(実際、仕事上の問題が解けなくなってきてたからね)

2011年。東日本の震災のとき、やっぱりプリンの上で暮らしていることが不安になったし、治安的なことでも、うちの奥さんの場合、大いに心配だし、「都心」は止めて「郊外」へと模索をはじめた。ひいばあちゃんたちの「疎開は行き先のご近所さんとの関係をつくってから」を参考に、候補地を探しては近隣関係をつくって、実際に引っ越したのは5年前。

今は畑もやってるから、これも「これから」っぽい。でも、必要に応じてライフデザインしてきたらこうなったという感じ。「先取り」を目指してきたわけじゃないし、実際「リモートワーク」なんて名前もなかったし。

これからは「どうやってお金から距離を取るか」が課題かな。そのための「畑」だし、衣服や理美容な生活消費もさらに見直した。ご近所で充分なんで電車にも滅多に乗らない。

(郊外に暮らしていると、四季折々、日毎に表情が変わるからね。実際に飽きないんだ)

フィットするライフスタイルを探して、実験を重ねて、僕と奥さんの今日がある。気がつくと僕らだけではないし、一部にはスタイルが確立して名前がついているものもある。

だから一時的な流行じゃないと思うな。流れだと思う。

SOHOでガーデン・シティでミニマル。
全員じゃないけど、この道を歩き始める人は少なくないんだろう、と。