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まともな大人がいない国

ふと手に取った本の、こんな一文を目にすると、ゾッとしつつ、それでも少しずつは進歩しているんだな、とは思う。

数年前に発表された加納さんの構想によると、東京湾三億坪のうち、東京都の一倍半にあたる二・五億坪を埋め立てようという。そのためには房総半島の山々を原子力で崩し、その土を運び、ここに新大東京都をつくりだす。一方、山々でさえぎられていた太平洋からの南風を東京に送り込んで、東京の冬を五度暖かく、逆に夏は五度涼しく、つあり土地造成から気候改変までやろうという途方もない夢であった。

江戸英雄 著「すしやの証文」より

江戸英雄さんは1955(昭和30)年に三井不動産の代表取締役になり、1974(昭和49)年には会長。1990(平成2)年には、あの「国際花と緑の博覧会」協会の副会長も務めた方。名士中の名士といっていい財界人。この「すしやの証文」は1966(昭和41)年に朝日新聞社から出版された彼のエッセイ集。後に中央公論社から文庫版も出版されている。

ちなみに文中に登場する「加納さん」というのは、加納久朗さん。初代の日本住宅公団総裁であり、千葉県知事さんでもあった方。
お二方とも明治生まれの方だが、その言動は平成に入っても容認されていたという事は事実なんだろう。だから、文庫版が出版された1990(平成2)年にも、前述の一節はそのまま生かされている。

初版の1966(昭和41)年は、今から半世紀も前のことはいえ、朝日新聞社から出版されたエッセイ集に「房総半島の山々を原子力で崩し」という一文が登場する。もちろんこれはトンデモ本の類ではないはずなのに。
しかも、この構想をぶち上げた人も「夢」と語ってエッセイに記した人も、この国の立派なエリート。つまり、当時のこの国の知的なレベルがそんなもんだったということ。

(少なくとも、文庫版が出版された平成の初めまではそうだったということなんだと思う)

現状の僕らも実力不足。これからのこの国をソフト・ランディングさせられるような実力はない。でも、以前に比較すれば、ずいぶんと「マシ」にはなってきている…

つい最近まで、いい大人がクルマの免許も持っていないのに、アクセルの踏み方だけ覚えてF1レースに出るようなこと そういうバカが珍しくはなかった、と。

ちゃんとした長老がいなくて、森さんみたいな人が、この国の未来に老害となって障壁になっている。市井を見渡しても似たような状況…

でもね。

恨んでも、まともな親がいないという事実が変わるわけではない。
つまり「救いの手が差し伸べられる」については諦めた方がいいし
たぶん、彼らは、森さんのように「邪魔立て」となる。

この現実を粛々と受け止めなければ。
僕らは生きていかなければならないのだから。

自分でいくしかない。