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暖簾分け

2007年の話し。ずいぶん前の話しだ。

「船場吉兆」は、あの「吉兆」の湯木貞一氏が、子どもに「吉兆」の暖簾を分けて、三女の婿養子だった湯木正徳氏に暖簾分けされた店。

この店が岩田屋(福岡市)に出していたテナント「吉兆天神フードパーク」で販売していたゼリーの、売れ残りのラベルの貼り替え(消費期限や賞味期限の改ざん)を毎日行っていたことが発覚。間もなく惣菜でも同じようなことが発覚し、消費期限・賞味期限切れの食材を同じ岩田屋新館にあった「吉兆天神店」に流していたことも発覚した。

本店でも、佐賀県産の和牛を「但馬牛」、ブロイラーを「地鶏」などと表示を偽装していた事が判明。産地や原材料を偽装していた物は合計で10商品に上っていた。

ついに大阪府警も「品質偽装表示」の疑いで、本社のほか社長宅や、専務宅、事務所などを家宅捜索。府警は湯木社長ら幹部からも任意で事情聴取した。

記者会見を開くが、三女佐知子氏が、彼女の長男の喜久郎氏(当時取締役)に返答内容を小声で指示し、喜久郎氏がそれをオウム返しに繰り返すさまがマイクですべて拾われてしまった。このことは、当時はワイドショーのかっこうのネタになった。

そして2008年、廃業。

今から20年近くも前のことだけれど。

今、改めて振り返ってみると「吉兆」は、つくづく湯木貞一という人の並外れた力量に拠るものだったんだなーと思う。

確かに、老舗の中では歴史が浅い方で、彼の事業性によって急成長した感じがある。コツコツと積み上げてきたものが一定量に達して、そして、その地位を得たという感じではなかった。その事業性の原点を発想し、具体的な施策を企画し、ディレクターの役割を負ってきたのも湯木貞一氏。僕も湯木貞一という人はもっと職人的な料理人な人なのかと思っていたけれど、そうならば、後継で、ああいう問題は起こらなかったのだろうと思う。

それにしても、一人の力量で成り立っている事業は脆い。

「吉兆」さんとは比べようもないけれど、オフクロの実家の方も、ひいばあちゃんの力量だけで保ってた店。ひいばあちゃんが死んじゃったら、面白いくらいに、あっけなくガタガタガターといった。まぁ、全部はなくならなかったけれど往時の十分の一以下になった。
僕が中学から高校にかけてのことだから、よく覚えている。

(まぁ、ここで見聞きしたことは、ある意味、ひいばあちゃんが僕に残してくれた最後の財産なんだけど)

80年代のNHKドラマ「イキのいい奴」で、寿司屋の親方が、弟子を独立させるにあたり、常連さんに、なんで暖簾分けみたいなかたちにせずに、新しい、その弟子の寿司屋にしたのかと問われて

「あっしの鮨は、あっしのもの。一代できれいさっぱり消えていく。それが粋ってもんじゃありませんか」と。

やっぱり、こういうのがカッコいいんだろうな。

一方、親方は、その独立していく弟子にも「小さいオレになっちゃダメだ。お前はお前の鮨を握れ。オレは、お前が何にも考えなくたって、お前の鮨の中にちゃんと生きてる。それでいい。だからお前の鮨のことだけを考えろ」と…

正しい。
料理人でも事業家であったにしてもそう…

なかなか難しいことだけれどね。