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明治以降

人々のつながりというか、この国の社会を安寧たらしめているものがあるとすれば、それは江戸時代までに、少しずつ培われてきた社会システムであろうと、僕はそんなふうに思っている。

わが国の場合、遅くとも今から900年くらい前には、住民自治側から、ある種の「秩序」が産み出され、その「秩序」が鎌倉時代になる頃には、それまでの特権階級と肩を並べるようになる…そして、特権階級が行き詰まっても、住民自治側からは新たな秩序が産み出され、戦国時代には、各地に、さまざまなスタイルの自治国家のようなものが産み出される…

こんな感じだだから、すでに中世には今の選挙制度みたいなものが実施されているところもあるし、複数のコミュニティが同等の立場で連携するなんてことも、珍しくはない。欧州よりは速いペースで民主主義が進んでいっている。

で、それを集大成したのが江戸時代であると…

僕がいうより、もっと達見な方の文章を引用しよう。

二世紀以上にわたって海外からの影響にほとんど門戸を閉ざしていた国が、どうやって大きな人口を抱えながら、比較的貧しい資源で、しかも国際交易なしにその国民にこれほど高レベルの福祉をもたらすことができたのか、また、それはなぜ可能だったのか、といった点に注意をむけるべきなのである。そこには、資源を有効に活用し,人々に質素ではあるが健康的なライフスタイルをもたらし、簡素ななかに豊かな喜びを見い出す文化を創り出した社会があったのである。この社会のこういった側面すべてが近代化に貢献したのは確実である。

これは、スーザン・B・ハンレーさんの著作「江戸時代の遺産ー庶民の生活文化」からの引用。
続けて大蔵省時代の財政金融研究所にあった「21世紀の経済・社会システムを考える研究会」の中での水谷三公 東京都立大学教授(当時)の発言録から引用させていただきます。

江戸は,特に後期になると、かなり近代社会の実質を持っていたといえると思う。だとすれば、明治国家は近代市民社会ができている上に国家をつくったということになるので成功する条件に恵まれていた事になる。これは結論を先取りすることになるが、今の日本で起きている事は,近代社会の遺産、つまり江戸の重要な遺産をほとんど全部食いつぶしてしまったことに拠るものではないかと思う。

水谷さんは、今日、国際的に安定感を評価されている日本の社会も、明治維新以降の政府の努力が産み出したものではないと思っていらっしゃる。
一方、安倍さんや麻生さんに連なる人々は、いいことはみんな明治以降に起こったと思っている。
武士道精神が、どうこういう人たちの話しを聞いていても、そこに「鞘の内」的美学(達人は刀を抜かずして相手に勝つのが極意)があるわけでもなく、むしろ、軍国主義の時代に歪曲された武士道観を語る人が大半…つまり、明治以降の考え方に立脚しているように思う。いわゆるサヨクといわれている人たちも、江戸時代には貧農が喘いでいたんだという歴史観でしょう。僕は、そのあたりに疑問があるわけで、引用文のように江戸時代を評価しようとすると大学院の査問でも笑い者にされました。

村方のお百姓さんたちも、江戸時代には貧困にあえいでいたイメージがありますが、どうも明治になって税金を金銭で納めるようになってからが貧困の始まりだったよう。幕末の日本を訪ねた外国人たちも、警戒心なく、また屈託がなく、よく笑う日本人たちを日記や紀行文などに描いていて、生真面目な感じに、はみ出さないようにと生きていく日本人は、明治以降のもののようだ。

豊臣秀吉が惣無事令を出し、刀狩りをして兵農分離をし庶民を兵役から解放し、島原の乱以降、大きな内乱もなく、市井に200年ほどの安寧をもたらし、街場の文化にもあれだけの豊かさを…

僕は、明治以降が、それまでの長い日本の歴史に積み重ねをチャラにして為政者や財閥のためにつくられた時代ような気さえしている。

でもね。血統がはっきりしているような学者さん、専門家ほど、そうは思っていない。先ほど引用させていただいた水谷さんのような意見を持つ方は少数派です。

明治以降のこの国が、あの「Great Wave(北斎の「神奈川沖浪裏」)」以上に、国際的な評価を受ける絵画をいくつも生み出せるようになったんか。一方で、戦争で亡くなった人は江戸時代の260年間に比べようもない。

違うかなぁ

この国は明治以降に「進歩」じゃなくて「退歩」したんじゃないかな。

むしろ、封建制に近い体制と理由なき身分制が横行したのは「明治以降」じゃないか。そして「臣民」から「家畜」へ。為政者たちの暴走は止まらない。

そういう状況のなかで「江戸なぁ」って思ってるんだ。