「パスを回せ」と言われた素人時代、いつしか「シュートを狙え」に変わっていくジレンマ。
試合でも練習でも、シュートを決めたくて、決めるのが楽しくて、一度回ってきたボールをパスしないことがあったのではないか、と思う。
せっかく回ってきたボールだ。簡単に手放したくない。
5分も順番待ちをしてやっと乗れたブランコを20秒そこらで交代するのは嫌だ、そんな気持ちだ。(子どもにとっての5分は相当な我慢を要するだろう)
しかし、こうだ。
ずっとボールを持つな!
味方にパスをしろ!
一人で(バスケを)やろうとするな!
と言う罵声にも聞こえる怒号が体育館にこだましていた記憶はそう遠くない。
時を経て、色々なバスケットを学んで、「上手くなって」いくと次第にこのような声に変わる。
自分が空いてるだろ!シュート!
どうして周りに頼るんだ!
あんなにボールをシェアしろと言われ続けて、そのようにプレーしていたはずなのに、どうしてシュートが狙えなくなってしまうのだろうか。きっとそこが、成功する選手とそうでない選手の境界線なのではないだろうか。
バスケットは点を取るスポーツだ。
あの小さなHOOPによーく狙ってボールを通さなければならないスポーツだ。
ディフェンスをすることは勝利に「近づける」ことはできるかもしれない。
しかし、ディフェンスでは勝利を「得る」ことはできない。
バスケットボールにはいろんな戦術や方法が存在する。
でもやはり結局は玉入れだ。
その本質は変わらない。
どんな方法でも良い、点数を取ることは貪欲に狙い続ける必要がある。
それが、カテゴリが上がるにつれて、失われていく。
確率や期待値に基づいて考案されたショットセレクションの基準による困惑。
チームと個人の成長速度の違いによる葛藤。
埋められない体格差が存在する事実。
目の前に現れる圧倒的な才能。
それらを目の前にして、人はできなくなった根拠を探し始める。
できなくなった原因を人は外的要因に求め始める。
失われたのは「技術」じゃない。
現れたのは「埋められない差」ではない。
失われたのは「自信」だ。
現れたのは「自分の弱さ」だ。
壁を目の前にして、生き残る方法を探し始められるか。
できるようになる方法を自分自身の中に見つけ出せるか。
最初から最後まで花形で居続ける存在はごく一握りだということは知っている。
全員がマイケル・ジョーダンにはなれないし、大谷翔平みたいに二刀流はできないし、内村航平や吉田沙保里みたいに勝ち続ける競技人生を送ることは難しいのはわかっている。
それでも。
そんな人生に、運命に抗って。
それなら。
自分の人生が他人の人生にならないように。
最初から最後まで「自分を」貫き通し続ける存在になれるか。
チームの中で充足感を得られる役割や場所を作り出せるか。
狙い続けろ。自分の人生は自分が主役だ。
チームに優先順位や約束事はあるかもしれない。
コーチから言われたプレーであれば従うしかないだろう。
でも、何も言われてないなら。
まずは、自分だ。自分が決めるんだ。
そういうメンタリティがある選手が、生き残っていく。
きっとそうだと、僕は信じている。
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