技術革新

おじさんがわかりやすくイライラしている。

スーパーのレジ前。まとめ買いをする主婦やら何やらで、そこそこの列が出来ている。おじさんに会計が回ってくるのにあと3人ほどだろうか。今会計をしている70歳くらいのお婆さんが、1人で持って帰れるか疑わしい量の食材と、見ているこちらが不安になるくらい緩慢な動作で財布からお金を取り出していた。

おじさんはわざと聞こえる様な大きさのため息をついたりしきりに時計を見て貧乏ゆすりをしたりしている。確かに待ち時間は煩わしいが10分も20分もかかる訳ではないだろうに。余程この場で急いで買わなければ行けない物でもあったのだろうかとも思うが、彼の手に握られているアルコール入りの瓶がそれを力強く否定していた。
今や生活の全てが効率化を重視するあまり、人類はたった数分間の「ただ待つ」という事にとてつもないストレスを感じる様になってしまったようだ。技術革新によって生まれた功罪は、私たちを進化させたのか、はたまた退化させたのか。しかも効率化の果てに生み出された時間によって、豊かな時間も増えたかと言われると、そんな事はないと感じるから不思議だ。一体我々人類はこの先どこへ向かっていくのだろう。そんなことをぼんやり考えていたらおじさんの会計になり、彼は横柄な態度で支払いを済ませていった。

私の会計もあと前の2人が終われば回ってくる。
買い物もそんなに多くなさそうだし、すぐ順番が回ってくるだろうと思っていたら、一つ前の主婦が財布の小銭を数えてもたつき始めた。

おいおい、今までの待ち時間何をしてたんだ。
後ろの待ち時間が増えるだろうに。

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