「コーダ あいのうた」(2022/1/30鑑賞)

 「くたばれクソ兄貴」。身体全体を使い手話で兄へ悪態をつくルビーの姿に、言葉に反して、彼女の深い愛情を感じざるを得なかった。その、悪態をつくための手話を覚えるために、どれだけの時間を要したのだろう。

 そんな風に、作中では描かれなかった彼女の幼少期に想いを馳せ、また涙が溢れる。初めて家族以外の人と話をするとき、どれだけの勇気を振り絞ったのだろうか。歌の楽しさを知ったとき、物理的な意味で家族から理解してもらえないことに、どんな感情を抱いたのだろう。それでも彼女は心から家族を愛し、寄り添い続けていた。

 「音楽っていったい何なのだろうかと、ずっと考えてる」。以前、あるアーティストのコンサートへ行ったとき、ボーカリストがこんなことを言っていた。それを聞きながら私も、自分にとって音楽とは何だろうかと考えていた。

 明確な答えは出せそうになかった。けれど私たちは、音楽を聴くことで歩かされるときがある。それだけは自信を持って言えた。たとえば月曜の朝、重たくて憂鬱な足取りを、イヤホンから流れる音楽が軽くしてくれる。右足から左足へと、音楽によって力が吹き込まれ、日々を耐え、生きていくための手助けになることだってある。音楽って、そういうものなのだ。ルビーにとっての音楽も、同じだったらいいと思う。そしてこの物語の続きの世界では、きっと彼女がそんな音楽を与える側の人になっていることを願う。

 この作品には、"物語"に求めるものが全て詰まっているような気がした。私は、彼女たちの物語に決して自分を重ねたりしないし(あるいはできないし)、憧れを抱くこともない。それでも観終わったあと、希望をありがとう、と思わずにはいられなかった。

 人はなぜ、物語を見るのか。それにはたくさんの答えがあるだろうけれど、ひとつは、自分が得られなかったもの、たとえば人とのつながりや、境遇、もしくは未来を、自分の代わりに得ていく誰かの姿が見たいからだと思う。そして、その"誰か"の幸せを心から願う。そうすることで昇華されるものが、必ずあるのだ。

わたしは愛を両側から眺める
だけどそれは愛の幻影
わたしは愛の本当の姿を知らない

 ルビーの歌声がわたしの背中を押す。また明日も、耐えて、そして歩いていこう。サウンドトラックをスマホにダウンロードしながら、明日の朝は必ずこの曲を聴こうと決めた。『青春の光と影』。月曜日がやって来る。



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