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「いい質問ですね!」が怖い

こんばんは、らりほです。
謎の右手小指の痛みに悩まされています。

今日はプラグインの大掃除と題して、所持しているエフェクトを全部Excelに書き出し分類をしていました。

すると合計280個持っていることが発覚…!
一般的にこれが多いのか少ないのかいまいちぴんと来ませんが、初めて見たような名前もあったのでこれから一つ一つ調べて活用したいなと思います。

ところで、

「いい質問ですね!」って怖くないですか?

私は現在学生で、今年の学生生活は8割がZoomによる授業でした。

そんな配信授業では当然先生と生徒のコミュニケーションが難しく、今まで気軽にできていた些細な質問をするのにも躊躇することが多くなりました。
その為先生がランダムに当てた生徒に質問させる場面も増えました。

私は質問をすることが恥ずかしい・怖いとは全く思わず、むしろ積極的に
疑問を潰していきたい派です。


しかし問題は質問をした後にときおり発される「いい質問ですね!」という言葉です。これがとても怖いのです。

『いい質問』とは何か

某フリージャーナリストが脳裏によぎるこの言葉。

検索をかけるとそれについての書籍やブログが出てきます。
それほどこの問題に悩み、考えている人が多いようです。
私にとってのいい質問は相手が答えやすく、それで得た答えがタメになる
ものです。

私が答える側に立った時「その視点は盲点だった!」「確かにそこも重要だ!」と思えば、それがいい質問であると感じるはずです。
ビジネスや交友関係においていい質問ができる人というのは印象が良く、関係をより深めたいと思わせる1つの手段だと思います。

ですが、学校の授業でも同じことが言えるのでしょうか?

授業における質問に「良い」は必要?

新しい知識を得て自分の糧にしていく時間である授業の質問に、はっきりと
「良い」「良くない」を評価され発言されることにやりにくさを感じます。

そもそも「この授業をよりよくしたい」と思って質問する人は少数で、ほとんどの人は自分が本当にわからないこと・知りたいことを聞くと思います。
結果として話が盛り上がり授業の質が上がっていけばもちろん嬉しいですがそれを狙って質問することはあまりないはずです。

私は「いい質問ですね!」を言われないことがとても怖く、わざと分かっていることを聞いたり、わからないことを聞けないときが度々あります。
そして「いい質問ですね!」を言われた場合、他のクラスメイトに申し訳なさと居心地の悪さを感じてしまいます。

周りには「気にしなければいい」と言われてしまいがちな、なかなか共感してもらえない悩みの一つです。

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