見出し画像

iLab STORY vol.6|創業者、木下美智子の化粧品。

皆さんにも「なつかしい~」という景色が沢山あると思います。それは何かの香りからとか、風景や写真からとか、はたまた物を手にした時なんていうのもあるかと思います。昨年末にちょうどある「もの」を手にして、色々思い出してこの話を今回はこの話を書こうと思います。

画像2

これまでのストーリーで、創業者、木下美智子がヨーロッパでの楽曲の買い付け、音楽のプロデュース業からある人物との出会いによって、化粧品事業をはじめました。とお伝えしてきましたが、なんと今年で発売から30年になります。輸入販売を開始したヘルシンキ・フォーミュラは、日本発売を開始してこの1月でちょうど30周年です。

30年間ご愛用いただいているお客様もいらっしゃるので、しみじみブランドが続くって、商品が愛されるって、本当にすごいことだと思いますし、嬉しいしことだと感じました。2018年に創業者である木下美智子は老衰で亡くなりました。彼女が今も生きていて、30年を一緒に振り返ることができたらどれだけ良かっただろうか。楽しかっただろうか。とふとした瞬間に思います。

皆さんは企業生存率ということばを聞いたことがあるでしょうか。その企業生存率、30年と検索していただくと様々な数字がでてきますが、続けるということは困難を極め、また同じ会社として一つのブランドが生き残る可能性というのは、本当に至難の業です。

画像3

時代を先読むことはできても、天災によって左右されることがあり、また人口比率が変わること、男女比率が変わること、また景気によってこの30年を振り返っても、国内で一つのブランドが愛され、今もなお販売できているということは、これまでの様々な努力や積み重ね、イノベーションがあってのことです。

創業者の木下美智子も、ブランドや商品展開で数々のイノベーションを展開していきました。結局のところ時代を読みすぎると、その商品は時期を終えるのが早かったので、ますますブランドがもつコンセプトというものや、ブランドの主軸というものは大切だと思います。

ひとつ前のコラムで、軽く「黒歴史」と書いたのですが、黒歴史はある意味、色々な努力の結晶でもあると思います。

画像1

さて、こちら。2000年に「BSE問題」(牛海綿状脳症、Bovine Spongiform Encephalopathy)という社会問題が起こりました。当時は食品産業の問題とされていたわけですが、もともとベスクタリアンでもあった彼女は、この社会問題から健康、美容、化粧品につなげて、それまで動物性由来のものしかなかったコラーゲンや、プラセンタを、動物性ではない原料を求め探しはじめました。ようやく見つけて、原料を化粧品事業で商品化されたころには、このBSE問題という社会問題は収束しているわけですが、社会問題から彼女の商品づくりは始まることは多く、最上級で最高品質のもの。その中でも追い求めるため、市場スピードには当然追いつかず商機を逃したものが多かったです。

これは現在にも通じる部分でもありますが、品質を保ったまま供給のスピードを上げるというのは事業規模にとても左右されます。資金的な側面から起こる問題や、事業の規模感で起こる人的リソースも含めて、世の中にどう情報を投下してサバイブしていくのか、今も昔も変わらず大変なことです。

彼女が輸入販売のヘルシンキ・フォーミュラから、日本オリジナルの新商品開発まで音楽プロデューサー時代に築き上げた個人資産を、本当に「いいものだから売れて当然。」と、次から次へとある意味、原価などを気にせず、純粋に「自分がいいものだと思うもの」を提供したかった、創業者の心意気を黒歴史になってしまった商品たちから感じたわけです。

画像4

ちなみに、カバーにつかったクレンジングオイルは、彼女自身がトルコから取り寄せていた搾油の時点で加熱しないため、オリーブオイルの良い成分だけが残っているされた食用のオリーブオイルから作られたクレンジングです。口に入れても大丈夫というだけでなく、口に入れても美味しい栄養素の失われていないものを、肌にも使いたいという彼女の熱量でできた商品です。(当時はSHU UEMURAのクレンジングオイルをみて、売れると思って作ったんでしょ?ぐらいしか思われなかったやつです、、、残念です。)

いいものを世の中に黒歴史的な商品にせず、きちんとお客様に届けられるプロレスを汲んで、2020年はスタートしようと思います。

彼女が描いた黒歴史商品は、新しい素材も加えてまた発売したいな~と思うものもありますので、引き続きよろしくお願いいたします。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?