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ネットプリント「おんなのこよみ」

こんな時期ですが、三月からひとつきごとにエッセイをアップしています。友だちのわたなべありさちゃんに素敵なイラストをつけてもらい、おんなの人に向けた月ごとの、ちょっとしたことを書いています。

せっかくなので、今月の話とも繋がりのある三月号の文章を載せます。
気に入った方は五月号の印刷を近くのコンビニで!

三月
 昔からその日が近づくと、胸が躍った。誕生日でもないのに、家の中で自分が主役になれるから。晩御飯は大好物のおかずとちらし寿司。食後にはジュースを飲みながら、砂糖菓子の人形が乗ったケーキを食べる。わたしと妹にとって特別な日。
 学校から帰るとわたしたちは夜の宴のために、いそいそと準備を始める。きちんと手を洗った後、押し入れの中にある衣装ケースをリビングに持っていく。充分な場所を確保したら、フタを開けてそうっと中のものを取り出していく。少しでも雑に扱うと、母の嫌味がキッチンから飛んでくるので慎重に。テレビ横のちょっとしたテーブルの上に、細々としたものを並べていく。いちばん緊張するのは、彼女と彼を運ぶとき。頭や顔に触れないよう、着物を崩さないよう、両手の平にひとりずつ乗せて、畳の台の上に。仕上げで彼女には扇、彼には笏を、小さな手にはさめば完成だ。美しい衣装に身を包んだ涼しげな顔の二人が、品よくこちらを見て微笑んでいる(気がする、くらいの表情)。そうして、わたしたちは他人の婚礼の儀をセッティングして、母から呼ばれるのをぼうっとして待つのだ。
 この時期は学校の放送やスーパーでひな祭りの歌がよく流れている。その度に、わたしは悲しい物語を想像していた。実は彼女は望まない結婚をしようとしていて、だからメロディーも沈んでいるし、表情も硬いのだと。物資的には恵まれているだろうから、いつか幸せになってほしいなと、おかしなことを考えていた。本来ならば憧れの対象であるはずの豪華な調度品のミニチュアは「昔の結婚って大変なんだな」と感じる象徴だった。俗説とは裏腹な「結婚に幸せは託せない」なんて思考を持つことになるとは。ネガティブ。
 とはいっても、数えるほどの楽しい日を潰すことはできず「何のお祝い?お祭り?」と頭の片隅で不思議に思いながらも、家を出るまでそれは続いた。わたしたちがケーキを勧めても、母は「女の子のお祭りだから」と言って断り続けたけれど、本当は一緒に食べたかった。お母さんも昔は女の子じゃん。結婚とかよく分からないけど、わたしたちのお祭りでしょ!って。今なら言えるのに。
 自分も〈女の子〉でなくなって数年、今の家には人形もないし、それらしいことも随分していない。ただふと思い出したので、今年はご馳走を用意して、ハッピーな歌でも流しながら、女に生まれたことをお祝いしようかな。三月三日は女の祭り。

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