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もう1年経ったんだね。

祖母が他界して1年ほどになります。
そのため盆は近いですが、一周忌法要を先日行いました。都合が悪くそれには参加できなかったので、今日祖母の家に行ってきました。
主人のいない家というものはこんなに静かなんだなあと感じました。

祖母は長く体調を崩しており晩年は入退院を繰り返していました。
一度自宅に帰ってきて療養したのですが、再度入院し祖母宅から近くの病院で他界しました。
私の暮らす地域に大きな病院があるので、そこに入院していた時には休みの度に会いにいきました。退院してからも時間ができれば可能な限り訪ねるようにしました。

こちらの記事でも書きましたが、それは祖母のためというだけでなく自分のためにも行っていたような気がします。今会わないと自分が後悔する、そう思ったからです。

病院にいるときも自宅で療養しているときも必ずしも祖母と話ができるというわけではありませんでした。そのため誰とも会話をすることなく帰宅することもありました。また祖母が元気な時には訪ねても散歩に行っていて出会えなかったということも何度もありました。
そういう時も部屋の中は静かだったのに、今日行った時の静けさとは全く違っていました。

家の外も中も何も変わっていません。
祖母の家に入った時のにおいもそのままでした。ただその家の主人だけがいない。祖母だけがいないという事実がこんなにも寂しさを募らせるのだとは思ってもみませんでした。そういえば四十九日法要だなんだと祖母が他界してからも家を訪ねた時には誰かしらが居ましたからね。

部屋の中には誰も居ませんでたが、それでも写真の中の祖母は私を笑顔で迎えてくれました。それがまた寂しくて。

色々相談事を聞いてもらった祖母なので、また話をしたいなあという思いが込み上げてきます。
私にはもう祖父母はいません。今の年齢になって話ができることや相談したいこともたくさん出てきました。

寂しいね。
仏教や宗派には詳しくないので正しいかどうかは分かりませんが、お盆には仏壇の前でたくさん話をしたいと思います。

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