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世界を見たいというが、自分の身近な人を大切にしたいという思いを捨てきれない。

かねてから私は広い世界を見たいと言っている。
これまでの人生を振り返ってみると、いかに自分が狭い世界で生きていたのかがよくわかる。地元を離れて他県で暮らしたのは大学時代の4年間だけだ。
社会人になってからは生まれ育った県内で何度か転勤をした。それに伴って幾つかの街で暮らした。

その生活も内にこもりがちであった。
当時は体力を温存することに終始していたように思う。そのため同じルーティンで生活をしていた。休日の過ごし方も、食事も同じことのローテーションだった。
その土地でしか味わえないような経験はあまりしてこなかったように思う。
今となっては心残りだ。

そういう経験を経て、これまで体験したことのないことや見たことのない景色を見たいと思うようになった。
そういったものをたくさん触れられるのは行ったことのない土地だ。
国内外問わずたくさんある。一生を費やしても行き着くことのできないところも多く残るだろう。

知らない世界に触れ続けるためには足枷となるのは暮らしだ。
同じ土地で暮らす。そこでしかできない仕事。
いわゆる土地に縛られる状態が世界に触れる可能性を減らす。

ではすぐにでも動けるように状況を変えればいいのではないか、という指摘はその通りだ。しかしそうできない私がいるのも事実だ。


身内が体調を崩している。
一般的に大病に分類される病を患っている。先は長くないかもしれない。
こんな不吉話は身内とはできない。そのためこの記事を吐き出す場とするのを許して欲しい。

あと何度顔を合わせることができるだろうか。
普通に話をすることができるだろうか。

そう考えると、自分のやりたい生き方というものを少し我慢してでも会いにいきたくなる。それは身内のためでもあるし、自分のためでもある。
この辺りは以前の記事でも書いた。孝行は自分のためにしているようなものだ。

大学を卒業するまで元気にいた4人の祖父母も、もうあと1人になってしまった。
もちろん他界してしまったことは寂しいが、先に逝ってしまった3人のじいちゃんばあちゃんは自分が後悔を残すことがないほど会えた。

兄弟、従兄弟の大半が死に目に会えなかった。
満足の行くほど会いにもいけなかったのではないだろうか。
私はそれぞれと思い出を作り、それぞれを看取ることができた。

そのために地元にいるといっても過言ではない。
先述した、世界を見たいという私と矛盾しているが、この一面もまた私そのものた。

世界を見たいというが、自分の身近な人を大切にしたいという思いを捨てきれない。
人生何回かやり直せたらいいのになあ。
でもそうしたら、大切な人との別れも何回も経験することになるのか。
それはそれで嫌だなあ。

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