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中学三年生の頃だったかな

中学生三年生の頃だったかな、曲というものを書き始めた。
書き始めたという言い方は正確でないかもしれない。
何せ楽器も持ってないし、学校の音楽の成績は昔の5段階評価で2だったのだから。
それはすべて英語の歌であった。
オヤジは米軍基地勤務だったので英語というのは日常的に使っているものでペラペラだったのだが、その子供はアメリカ人の子供と喧嘩するときだって日本語だったのだから…。
夜、布団に入って枕元にノートを置き、詞を二篇ほど書き、朝、起きて学校へ出かける前にその詞に曲をつけていくという日課であった。
オレはいままで随分と曲を書いてきたが、最初の百曲くらいはすべて英語の歌詞だったのである。
学校の授業で“as soon as~”を教われば、そのままその夜の歌詞に“as soon as~”と入り、“so but than”とくれば、そのまま”so but than”が歌詞に盛り込まれるといった具合だ。
とても口語、まして歌詞にはなっていなかったに違いない。思い切り文語体で書かれたその歌詞はいまも捜せば古井戸ではないが、古いノートに書き連ねてあるのが見つかるだろう。
歌詞を書いた後で風呂に入りながら鼻歌でもないが曲をつけていた記憶もある。
いまもそれを見ればすぐに歌い出せるだろう。不思議なことだが、ノートに書き連ねた曲が後にレコーディングされたりすると、コード譜がついていようがなかろうが忘れてしまっているのだ。
それからしばし時が経ち、ZKの初代ベーシストであり当時のご学友であった友人がギターを買ったと見せびらかしに家へやってきた。
それは単なるたぶん安物の(失礼)ガットギターだったのだが、オレは初めてギターというものに触れ、ちょっと教わりながら、指一本で押さえられるコードGを押さえ、ビートルズの”If I needed someone”を歌っていた。


※このテキストは、かつて第一興商の音楽ファンサイト「ROOTS MUSIC」に連載されていた文章に、大幅に加筆修正したものです。

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