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答えは無い。

どんな事にも答えは無いのです。ただテスト問題は、答えが無いと採点できないので答えのある事だけを教えてそれが全てだと思わせているのです。

そんな風に答え合わせばかりしている人は、社会に出ても、答えを出しては正解か不正解かを念頭において優等生ぶりを見せつけるのです。そして正解の無い問題に正解を出そうとして挫折するのです。

生きるか死ぬか、正解はありません。なぜなら人はいずれ死んでしまうのです。生きたくても死ぬ事があるのです。人の役に立ちたいと思っても足を引っ張る事もあるのです。正解はないのです。

その時その時で考えて悩んで苦しむ事になるのです。

それで良いのです。苦しんで悩んで間違った事をしてしまうのが人なのです。優等生や間違いをしない人ばかりが、暮らしているわけでは無いのです。

常識では考えられない事をしでかすのが人なのです。常識とは何なんでしょうね。生活をしていく中でみんなが共通で持っている知識から想像できる事を常識というのですが、みんなの中に入っていない人や共通で持っていない知識であれば常識から外れた非常識になるわけで常識、非常識の壁はとても薄くて、常識の塀は低いのです。

訳がわからない事が起こった時に、パニックを起こすか冷静に対処できるかで人の道は広がるのです。解答のない問題には答えなくても良いのですが、解答のある問題にできないかを悩んで苦しんで導き出せば良いのです。

間違った情報で決断した事が、後日訂正された情報により間違った決断になり、間違った行動をしてしまった場合の対処方法に正解は無いのです。

情報の確かさを確認しなかった落ち度を認めて、正しい行動にする為の決断と行動をすべきですが、もっと悩んで苦しまないと同じ事の繰り返しになるのです。

間違った情報は、自分に都合が良ければ確かめる事をしません。そんなに都合よく物事が進む訳が無いのですから、自分に都合が良ければ疑ってかかりましょう。

間違ってはいないけど、解釈が間違っている場合があるのです。間違ってはいないけど他の人と異なっている場合もあるのです。

認識の違いでのトラブルは、話し合っても平行線で認識のすり合わせから行わないと解決できないのです。

答えは一つでは無いのです。たくさんの答えがあるのですが、それを導き出して選択する苦しみを体験しないで行動するとさらに問題が発生するのです。

苦しみましょう。悩みましょう。楽になる事は無いのです。