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「愛してる」と言わずに伝える

言葉で直接言ってしまうと嘘になるのが「愛してる」と言う言葉です。
では、どのように伝えれば良いのでしょうか?

それとも 「愛してる」と言う気持ちは伝えるべきでは無いのでしょうか?
そもそも、「愛してる」と「好き」の境目はあるのでしょうか?

好きから愛してるに変わるものでは無いですし。キリスト教の愛と母の愛と恋人の愛、夫婦、子供、孫、隣人、対象物が変わると愛の種類がいくつもあるように思います。

今回、話題にしたいのは、夫婦の愛です。赤の他人が結婚して夫婦となるのですが、長く連れ添っていると愛もへったくれもない腐れ縁で一緒にいるだけだと言ってる人をよく見かけます。

浮気。最近は使われなくなって不倫だと言っていますが、好きになったから結婚して嫌いになったから離婚して、略奪婚にシングルマザーと夫婦の間では、色々あります。

お付き合いする事になるまでが、大変であったりなかったり、結婚までいかなかったりいったり。姑、小姑、親戚付き合いと色んな要因が発生しますから好きだけでは済まないのです。仕事に関連して仲が悪くなることもあるでしょう。すれ違いにコミュケーション不足。子育てに疲れていても協力しない夫。仕事に疲れていても理解しない妻。

何が災いとなり幸福をもたらしてくれるかはわかりません。そのような不確かな結婚などしないで独身でいるとか仮結婚をするとかする人がいます。

それは、そのような道を選んだのですから良しとします。ダメなのは現状を認めず迷った状態を続ける事です。あの時、ああしていれば良かったと過去を変えようと思う事です。過去は変えれません。

あの時があるから、今があると思う事です。そう思えるのは今が幸せだからなのです。幸せとは、他人から与えられる物ではありません。自分が幸せなのだと思えば幸せなのです。

夫婦となって数十年、死ぬまで仲良くしようとお互いに思っているのだと信じたらそれだけで幸せになれます。言い合いになっても最後は「でも、大好きやで」と言う幸せ。

「愛してる」と言わなくても、腐れ縁があれば幸せです。片方が先に逝く事になっても、幸せな思い出を持って生きていけます。それも一つの形です。

過去があるから今がある。今があるから未来がある。今できる事をする。将来できる事を増やす為に勉強する。できない事を知らずにやったり、やらされるから失敗するのです。同じ失敗を二度と起こさなければそれは、勉強できているのです。同じ過ちを繰り返すのは身についていないからです。

病気になったり、死ぬ事は避けようの無い運命です。事故に会うのも運命です。それを防ぐ努力は効果はあります。やらないよりはやった方が良いのです。愛せる人と巡り会えるのは奇跡です。運命なのです。

愛せる人と巡り会えるように努力する事はしないよりもした方が良いのです。それが幸せになる事だとは言い切れませんが、私は幸せです。

家内と一緒になれて幸せです。

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