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誰のためでもない

誰のためでもない、自分のためやろ。
自分の大切な人の為に。

どちらも間違いでは無いのですが、決心が揺らぐ時があります。

海に泳ぎに行って、親と子どもと他人が溺れたとします。あなたは誰を助けますか?禅問答では一番近くの人と言っていますが、私は違います。子どもです。なぜなら一番最初に目についた人を助けるからです。「子どもから目を離してはいけません」と仏様が言っているのです。うっかり目を離してもすぐに見つける事ができるのは、子どもの成長を見るのが幸せだからです。危険な目に遭わないように見守る事は幸せです。子どもの成長を見守らずに自分の遊びに夢中になる事で本当の幸せに気づかない事例があります。パチンコ屋の駐車場に子どもを残して殺してしまう事です。、次から次へと好きな人を変えて貢いでしまう人。例をあげればきりがありません。

自分の中に仏様が居て、その仏様が喜ぶ事をすれば良いのだと気付きました。親のため、家内の為、子どもの為、孫の為など限定する必要は無いのです。

基準となる絶対に変わる事の無い仏様が居てその仏様が喜ぶ事をすれば良いのだと気づいたのです。相対性理論で絶対に変わることの無い光のスピードを基準に計算式を導き出すことで時間も重力も空間も変数である事がわかったのです。ブラックホールの存在までわかったのです。

仏様を基準に心の計算式を導き出せば全ての悩みや幸せは変動するものだとわかるのです。ではその仏様とはどのようなものでしょうか?

仏様は人が生きる目的、生きている理由を教えてくれる存在です。
自分が自分である(自我)と事実を知りたいと思った時から人は人になるのです。

他の動物と人との違いは生き物の中にいる仏様の違いです。
全ての生き物にいる仏様は異なっているのです。

沢山いる仏様には共通の部分があります。それは仏様の願いです。仏様の願いは「幸せになって欲しい」という願いです。願いというより約束だといえます。「幸せにする」という約束です。

幸せにしますと約束している事を仏様は気づいて欲しいと願っているのです。「大丈夫、幸せに絶対してあげるから欲望に打ち勝ってください」と言っているのです。

命を粗末にしたり、他人の幸せを奪ったりしなくても幸せになれるのだから自分の欲望が「自分の中にいる仏様」に気づかなくなる事を知って欲しいのです。

自分の中の仏様が喜ぶと幸せな気分になります。
他人を助けると嘘をついてお金儲けをする事は仏様が喜ぶでしょうか?
平和のために人殺しをして仏様は喜ぶでしょうか。

仏様は「幸せになれる」と言っているのです。悪い事をしても幸せになれるのならば悪いままで良いのでしょうか?悪いままの幸せと悪くない幸せでは幸せに違いがあるのでしょうか?

幸せに違いはありません。悪い事で幸せになると仏様が喜ばないだけです。

仏様が悲しい思いをしても私達に幸せを与えてくれます。仏様が悲しんでいる事に気づかず、自分は幸せだと思っているのです。

幸せを追い続けると仏様が悲しんでいても気づきません。

仏様がどのように思うだろうか?と想像して喜んでいただける事をする事が本当の幸せで「心の幸せ」というのです。

仏様を「心の幸せ」と呼んでも良いのです。