脳内地図
わたしは地図を見るのが好きです。昔は地図を見なくてもどこにでも行けました。小学校が1番遠くて、二番目が近所の駄菓子屋さんですから地図が無くても迷うことがないのです。そして友達の家を訪ねるようになって家から離れていくのです。電車やバスで出かけてもそれは地図を見てから出かけることもなく親について行けば良いのです。
地図を初めて見たのはいつの頃でしょうか?学校で学んだ地図と自分の脳内地図は違っていました。道という記号が書かれているのです。地図記号が散りばめられて等髙線が波うっているのです。そこには景色も感情もありません。
脳内地図は思い出の地図です。距離は思い出時間です。ちょっとしかかからない長い道は短く描きます。ちょっとしかかからない短い距離はありません。思い出に残らない長い道は永遠に続くのです。
自分で地図を描きたいと思っても脳内地図が邪魔をして正確な地図が描けません。でもネット上には素晴らしい地図があるのです。各種地図が揃っています。建物が実物のように見える地図、ルート上に見えている風景がそのまま自宅で見ることができたり、世界地図、高低差が赤色で表現された赤色立体地図、国土地理院の地図、昔の地図も探せば見ることができます。
脳内地図と道案内の地図がつながらなくてウロウロしました。
そして、竹林の小道に出会い歩くことで一致したのです。
ひっそりとたたずむ愛徳山王子は九十九王子、
国指定史跡 熊野参拝道 紀伊路です。
長らく文献やネットから得た知識で描かれた脳内地図が、変わりました。地図を見て実際に歩き映像を残してまた地図を見るとその地図は違って見えるのです。
北吉田の道しるべ
「右きミ井寺道」と書かれていて紀三井寺につながる道であろうと思います。御坊市の石造物(御坊文化研究会著)には明治以降に作られたものであろうと記されていました。
九十九王子については郷土史の研究者によって数々の文献が残っています。わたしは研究者ではないのでただその道を歩いて動画や写真に記録して残しその先達の文献より得た知識も少しだけ記していきたいと思います。
参考文献は和歌山県史、御坊市史、和歌山県の地名など図書館にあるような本が我が家にあるのです。もちろんその他郷土史に関する資料も揃っているのですがわたしは研究者でも郷土史家でもないのです。
わたしが表現して良いのは実際に行った九十九王子に至る道の映像や写真を残すことだと思っています。
今日の道は明日とは違っているかも知れません。同じ九十九王子でも季節や時間が異なれば違った表情になるのです。
昔は立派な建物があっても新しい道が出来て忘れられ草藪に埋もれていた愛徳王子も今では綺麗に整備されています。
王子跡は本当の場所から移されている場合があります。移された記録があっても元の位置はわかりません。映像や地図を残すことは100年後に伝える事になるのです。
記録がなければ伝説となりいつか忘れられます。脳内地図はわたしがいなくなった時に消えますが記録に残せばいつまでも残るのです。
1200年以上前の平安時代に熊野三山目指してこの道を歩く人がいたのです。