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へこむ

へこむとは、自信を持ってした事が、思い描いた結果にならなかった場合にへこむのです。

想定が甘いからへこむのであって、悪い結果を考えていたならばへこむことはないのです。わたしの場合は悪い結果にならないようにあらかじめ準備するのですが想定外のことばかりあり、慣れてしまっているのかへこむ事は少ないのです。

へこむことよりも、得体のしれない不安になることのほうが多いのです。
不安になる要素はないのです。うまくいけばいくほど不安が大きくなるのです。悪いことが起こらないように想定して対処するのですが、うまくいったその先の想定ができていないからだと思います。

楽しいことがあって普段に戻った時の不安と同じです。悪いことがあってうまく対処でき普段に戻ったときは安心感で満たされています。

つまりグラフで表すと、良いことから普段を通って悪いことに行きそして普段を通って良いことに行く。良いことの先の普段は悪いことへ行く通過点で不安になる。悪いことから普段に行きその先は良いことだから安心するという単純なパターンを感じて不安になるようです。

この高低差が大きければ大きいほど幸福度や不幸度が増すのです。

幸せを求めても幸せにはなれませんが、不幸を求めるとすぐに不幸になれます。不幸がやってきたら頭を下げてやり過ごすのです。頭を下げると幸せが落ちてますからそれを拾うのです。それをおじきと呼びます。

へこむと頭を下げたくなります。下げればいいのです。さげた頭を上にあげると目線が地面から青空に変わるのです。

気分は落ち込むだけ落ち込んだら次は上がるしかないのです。上がる切っ掛けがわからないから落ち込んだままになるのです。

落ち込むことによって視界は地面です。地面以外を見てはいけません。飽きるまで地面を見ていればいいのです。何か見つかるかもしれません。飽きてくるかもしれません。飽きてくれば次に興味を持った物を飽きるまでみていればいいのです。

そんなことをしていればいつか自分がやらなければならないことに気づくでしょう。自分のやりたいことではありません。やらなければならないことです。

じぶんがやらなければならないことができないときにへこむのではなくやらなければならないことがわからなくなったときにへこむのです。

自分がやらなければならないことを自分がする事を誰にも止めることは出来ません。なぜならそれが運命だからです。

わたしはまだ自分がしなければならないことを知っていません。
同じことの繰り返しの生活の中でいつかだれかと出会いそれを知りたいと思っています。

家内と出会い、家内との平和な生活を続けることが私のしなければならないことだと思いつつもっと社会貢献ができるのではないかとも思っています。

へこんでいる暇はありません。フレーフレーわたし。