おまけの人生
あの時死んでいたら今の自分はいなかった。
おまけの人生だから生きてるだけで丸儲け。
お金も食べるものも雨風を凌ぐ家さえ無い。生きてるだけマシだと思うのか、それとも死んでいたら良かったとか思うのかで人生は変わります。
あの時に比べれば大したことでは無いと思えるような経験は人を強くします。本当は今の方が辛いのかもしれませんが、乗り切ることができるのです。
最悪の事態を想定してそれを乗り切る方法があるのならば怖いことはありません。
最悪の事態は人が死ぬことです。親も死に友達も死にペットも死にお世話になった人も死んでしまいました。仕事関係で沢山の死を見てきました。
コンピュータは機械です。死ぬことはありません。命令が間違っていなければ間違うことはないはずです。
でも、それに命令するのは人間です、それを使うのも人間です。人間は間違います。人間は死にます。必ず死ぬことは分かっているのですが「幸せな死」を迎えたのでしょうか?
おまけの人生を歩むことができていれば「幸せな死」を受け入れることができます。「無念な死」をたくさん見てきました。
何も知らずに何もできずに責任だけを押しつけられて苦労することはよくある話です。
個人事業主は仕事があれば食べていけますがなければ食べていけません。
仕事ならばなんでも飛びついてしまうのです。
自分では捌き切れない仕事を安くできる人に回して稼ぐ人もいます。
芸能人はたくさんいます。ほとんどがそれだけでは食べていけない人たちです。
でも、芸能プロダクションは食べていけます。それは売れる芸能人がいるからです。育てることも学校を作って授業料を取ればそれで賄えます。
個人事業主も同じです。資格を取る、技術を高める、名を売る仕組みに乗らないと仕事は手に入らないのです。
私は会社勤めを終えて残りの人生を謳歌しようと思っています。
「年金だけでは将来が不安です」という声が聞こえてきますが、「おまけの人生」いつ死んでも「幸せな死」です。
「仕事が無い」「搾取されている」「不公平」など不満を解消するためのヒントを投稿することが私の「遊び心」です。
不満の原因になっている事柄は「幸せな死」に気づいていない人が行っていることです。
その時々で精一杯の苦労を自分がする。
人に押し付けない。
人に頼んだら責任は自分が取る。
頼まれたことが誰かを死に近づけてしまったと思うことがあります。
会社(上司)が辞めさせたい人の仕事を取ることを指示するのです。言葉では簡単ですが「引き継ぎ」で代わりの人になることです。仕事を取り上げられた人は他の仕事を手に入れるしかありません。
自分の代わりになる人を排除するのは権力者の常套手段です。
誰でもできる仕事ならば引き継ぐことはありません。「引き継ぎ」できないから自分の存在価値があるのです。たくさんの「引き継ぎ」は、知識と技術を身につけることができますが、誰にも「引き継ぐ」ことができないものでも。技術は進歩します。
「引き継ぐ」ことと、「進歩する」ことを両立させるには時間も体力が足りません。引き継いだものは進歩により消え去ります。
それに対抗するには進歩させるために引き継ぐのです。
常に進歩している自分の代わりになる人はいません。「立ち止まらないおまけの人生」は最強です。怖いもの知らずです。私の代わりはいないのです。
言われたこともできないのは引き継ぐこともできないのです。
できないことを言うのは知らないからです。
できないことはしなくていいのです。
できないことをしないのは「おまけの人生」だからです。
できないことを知っているのは「おまけの人生」だからです。
できることを伝えることができるのは「おまけの人生」だからです。
「おまけの人生」に気付いたら「楽しい人生」にも気づけます。
人生でできることはたくさんあります。
嫌な人との人間関係は断ち切れば良いのです。死ぬほど嫌ならば死ねばいいのです。死んだつもりで「おまけの人生」を始めればいいのです。
「おまけの人生」にはたくさんの時間があります。その時間でゆっくりと考えればいいのです。気付けばいいのです。自分と対話すればいいのです。
「おまけの人生」について