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叱られる

ほめられるのは叱られるのと同じです。他人が自分に対して関心が無ければ叱られることもほめられることも無いのです。

関心を持ってもらうことから人間関係が始まるのです。関心を持ってもらっているから関係ができるのです。

関心を持ってもらうためにはどうすれば良いでしょうか?

共通の話題、共通の関心事、共通の環境のどれかがあって無関心で無ければ人間関係が成り立つのです。無関心は意識して無関心を装う時と本当に無関心の二通りがあります。

意識して無関心になるのは人間関係を築きたく無いと思っている場合です。

「叱られた」と感じるのは自分の思いと相手の思いが異なった時です。相手の言っていることが自分の中で納得できて自分の思いと相手の思いが同じになった時は「指導」だと感じるのです。

ほめられても納得できない時があります。それはほめた人と自分の思いが異なっているからです。叱られても誉められても同じです。相手の気持ちと自分の気持ちが通じ合って始めて意味があるのです。

感謝する、感謝されるのは感謝する気持ちがなければ嘘の感謝です。
感謝の言葉を呪文のように連発すれば良いのではありません。
「すみません」とお礼の気持ちで言っても相手は「すみません」は謝るときの言葉ですから感謝の気持ちは伝わりません。

「ありがとうございます」が感謝の言葉です。

「指導」が「叱る」と感じるのは指導者の力不足です。指導は「気づき」のヒントを与えることです。悩まないように導くことです。

叱られる事は、人間関係を良くして自分が悩んでいることを解消するヒントをもらっていると思うとほめられなくてもかまわなくなるのです。

人は常に戦っています。勝つことが敵わない自然の摂理が相手です。
自然に叱られる時は生死を掛けた理解が必要になります。

思い通りにならない自然との戦いに比べれば人間関係は容易いことです。
思い通りにならないのは損得勘定で評価しているからです。

損することを嫌って得することだと好んでしまう気持ちから今すべきことをすぐにする。しなくてもいい事はしない勇気です。

多数決を待つべき事案とすぐに動かなければいけない事案を瞬時に判断できる人になる事です。

「叱る」から「気づかせる」になるようにと思っています。