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noteの無駄使い

今日の写真は、なんば焼き、牛蒡巻き。ナスの味噌田楽、湯豆腐

ダラダラと誰に伝えるかも何を伝えるかも決めずに書いた文章を毎日毎日投稿し続けると目的意識のある文章を投稿している人の邪魔になっていないのかと心配になってきました。

読み手に有意義な文章とはどのような文章でしょうか?

それは読み手の目的に一致した記事である事。
読み手の読む目的は有意義な記事だけでしょうか?

ほっと一息入れるときに軽く読める文章を目指します。

雑談のように日常の中で気づいた幸せの花とその種を記事として投稿する事にします。

牛蒡巻きは、魚のすり身に柔く煮た牛蒡ごぼうを周囲に配置して鱧の皮で巻いて蒸したかまぼこの一種です。南紀の特産品です。

和歌山の対岸の四国にも同じような特産品があって言葉もよく似ています。
船で行き来できるので同じ文化圏になったように思います。

おくずしという方言があります。かまぼこの事で魚の身を崩すくずすすり潰すことから練り物一般をおくずしと呼んでいるのだと思います。

蒲鉾とは、魚のすり身を串に巻き付けて焼いた形が蒲生の穂や鉾に似ているところからついたようで、板に盛ったすり身を、蒸してから焼いた板蒲鉾の板と蒲鉾を切り離した時に板側に残った薄い蒲鉾を食べる事ができる幸せは共有できません。料理に携わった人の特権として味わう事ができるのです。

こっそり食べた時と親からもらった時では親からもらった時の方が美味しく思うのは心が感じた美味しさだからです。

食べた瞬間はこっそり食べた時の方が美味しくて思い出せば親からもらった時の方が美味しいと思うのは親の愛情がこもっていたと思うからでしょう。

心は時間と共に変化するのです。自分の思い通りにならないのは他人の心です。でも、根気よく説得すれば相手の心を変える事はできると思います。

歩み寄る努力をすればさらに心を通わせる事はできるのです。
noteの記事を通じて私の心とあなたの心が通じる事を願っています。