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怒る事も無駄ではない

この時間にしている事もさっきしていた事も無駄にはなりません。
身体を休める事も必要です。失敗しても忘れてしまっても無視されても嫌がられても打ちのめされても罵られてもやる気が無くてもそれは無駄にはなりません。

あなたが無駄だと思わなければ無駄ではないのです。たとえ無駄だと思ってもそれがなければ次に結びつく事はないのですから、無駄ではないのです。

時間の無駄と言われても精神的には無駄ではないのです。

私の事は私でもわからないのにあなたがわたしのことをわかったように言うのはおかしいのです。無駄な文章はない。その積み重ねがあるから今の自分があるのです。

怒るのは無駄だとか、悪い事だから「怒らないようにしましょう」と言うのは簡単です。抑圧された感情を抑える訓練をしましょう。集中力を高めて作業効率を上げましょう。と意識をコントロールするとその反動で後で苦しむことになります。

無感情になってしまうのです。動じません。何があっても冷静に行動しているようにみえます。にこやかに笑顔を作って丁寧な言葉使いで話す訓練をするのです。それは良いことではありません。表面的には意識をコントロールしているように見えますが、内面的にはどうでしょう?

内弁慶や外面が良い、それはまだ自分を素直に出している方です。内にこもって外との接触を避けるようになってしまうと社会生活ができているとは言えません。

怒りを分析しましょう。

何に対して怒りを抱いているのかを分析しましょう。
自分を認めて欲しい。褒めて欲しい。欲求が満たされない。自分の力ではどうすることもできない事を命令される。または命令してしまう。

怒る事で感情を出す。そして落ち着いてからどうして怒ってしまったのかを分析する。怒らなければ分析もできないのです。止めるとその先は無いのです。

止めたり制御しようとせずに、認める事から始めましょう。嫌だ。悲しい。悔しい。嬉しい。感情を出しましょう。嫌だを出さないとやりたい意欲も嬉しいも悲しいも本物ではありません。

法律さえ守っていたら悪い事など何もないと言う道徳心を忘れてしまう人になるのは感情を軽視する世の中を良しとする西洋のシステムが入ってきたからです。

確かに良い面もあります。機械化する事で生産力を上げる事はできます。そこに人件費を下げる事で利益を産む考えが無ければ良いのですが、人を人としてみないでコストの一部としてしまうと何のための機械化なのでしょうか?

現在の人材で生産力をあげるのが機械化です。機械化によって余剰人材を作るのであれば機械化反対です。怒ります。

ITを進める事によって便利になるのは良いのですが、人減らしに繋がるようでは人は育ちません。怒ります。

AI(人工知能)が、人間の手助けになるのならば良いのですが、人間の代わりになるようならば反対です。怒ります。

自分の為にはなるけれど誰かの犠牲が必要ならば、自分は我慢したい。
他人の為にはなるけれど自分の犠牲が必要ならば、それは反対する。
自分が我慢すれば他人の為になるのならば自分は我慢する。

犠牲にはならない。犠牲にはさせない。それを許すと人では無い。
我慢はするが我慢させられるのは嫌。我慢させない。
それをするには、できる事を惜しみなくしないといけないのだ。

怒って、喜んで、悲しんで。