見出し画像

嫌われない勇気

今日の写真は、フェンスの向こうのドラム缶と、シーソーです。

「嫌われる勇気」は自分の心で解決できますが、嫌われない勇気は自分と他人との関係を解決しなければならないので大変です。

嫌われない為に、他人を無視をしたり関係を断ち切るのは簡単な事で、消えていなくなれと思うだけで良いのです。周りに合わせる事なく自己中を貫いて嫌われても構わないから正直に生きる生き方は、自分は楽しいけれども関わりのある他人は説得しようと思ってもわかってもらえないジレンマのために楽しく無く「嫌われる勇気」を持っている人とは友達になりたくは無くのです。

協調性の無い人ばかり増えてギスギスした社会になるように思えるのは、わたしだけでしょうか?

他人から好かれるのは気持ちが良いもので、相手を理解し、相手に合わせ、空気を読んで行動している自分は、「他人に寄り添っている」などと勘違いしてしまう事があります。

でも、そのような方法は「嫌われる勇気」と同じで逃げているのです。逃げずに嫌われたく無いと思い悩まなければなりません。仕事が手につかなくなるでしょう。食欲も無くなり寝る事もできなくなり病気になってしまうのです。

その試練を乗り越えた先人がいて、読書や講義、宗教や家族の支援で乗り越える事ができ、また乗り越えた経験が他人の試練を乗り越える助言ができるのです。

他人の傷みを知りましょう。自分の傷みとして捉える事が本当の寄り添う事なのです。

好きな人がいたならば、嫌われないように気をつかいますよね。それが嫌われても良いと思って勇気を出して声をかけたとします。うまく付き合えたとしても嫌われても構わないからと自分の全てを曝け出して付き合いますが、相手の事をどれほど想って行動しているでしょうか?

嫌われたら嫌なので好きだと言えないが、偶然を装って声をかける。それからも何かと気づかって相手も同じ気持ちだとわかり付き合う事になるのが運命、赤い糸なのです。腐れ縁とも言います。

嫌われても構わないではなく嫌われないように努力する。寄り添うとは、相手を知り自分の事のように悩んで苦しむ事なのです。嫌われない勇気は他人に寄り添う勇気なのです。