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来世があるのなら

もしも来世があるのなら、わたしは人に生まれ変われるのでしょうか?
人に生まれ変われたとしても自分の思い通りの人生が送れるのでしょうか?

今の人生でさえ思い通りにならないのに来世の事を神仏に頼ったところで、今と何も変わらないのです。今が幸せならば来世に幸せを望まないのです。今が不幸せだから来世に幸せを望んでしまうのです。

それならば、どうすれば良いのでしょうか?

今が不幸せだと思うのならば、なぜ不幸せだと思うのでしょうか?

それは、幸せだと思っていないからです。辛いと思っているからです。
辛いと思わなくなれば幸せなのでしょうか?苦しい、痛い、痒い、眠たい。

人は何かしらを感じています。何も感じていない時は幸せなのでしょうか?
幸せを感じる事と辛いと感じる事はどこが違うのでしょうか?

どちらも心が感じているのです。頭に目や耳、触感や舌から刺激が伝わって心が働くのです。心の働きは個人差があります。同じ刺激を受けても楽しいと感じたり不快に感じたり幸せだと思う人もいれば不幸せだと思う人もいるのです。

自分の幸せが必ずしもあなたの幸せとは限らないのです。

何も感じない時間があれば、感じる事によって心が動いている事実と向き合えます。いじめられているのに笑う、笑っているけど心が泣いている。悔しいけど無表情。

感情と態度が一致していると相手に本当の事を伝える事ができます。本当の事を伝えても相手に伝わらなければ伝えたことにはならないのです。伝えることと伝わることは違うのです。

人が嫌がっているのにやめないのは、モラルがないからです。自分の嫌な事は相手も嫌とは限りませんが、自分の好きな事が相手も好きだとも限らないのです。嫌がっている事を伝えても伝わらないのは、相手にモラルがないからです。対話をしないからです。

モラルはマナーを知る事によって育ちます。マナーを学びたがらない人は、明日から始めると云いますが、来世がわからないように明日の事がわからないのに明日が自分の思い通りになると信じているのです。

今がマナーを守る時なのです。間違ったマナーだったならば正せば良いのです。理不尽な事は、人生のマナーを正しく学んでこなかった結果です。恋愛は自由です。身分の違いによって結婚できないのは、社会のルールが間違っているからです。未成年者との恋愛や同性との恋愛は、マナー違反ではありません。多数決で物事を決めて少数を排除する考え方がマナー違反なのです。不倫や浮気はマナー違反です。愛のない結婚もマナー違反です。育児放棄もマナー違反です。

紀州のドンファンの妻は、お金目当ての結婚で、殺人まで犯していたならばルール違反で罰を受けて当然です。マナー違反は、誰にでも起こり得るのですが、ルール違反にならないように誰かに助けてもらいましょう。

来世の幸せよりも今日の幸せを求める事ができる環境に感謝です。伝えて伝わって又伝えて伝わってが、対話なのです。対話ができる環境に感謝です。

対話をすることによって、マナーを学びモラルを育てるのです。助けを求めることは恥ずかしいことではありません。家族はそのモラルを育てる中心です。家族がモラルを育てる事が出来なかったならば社会がモラルを育てる手助けをすべきなのです。

人生のマナーを学びましょう。インターネットのマナーを学びましょう。
来世は、マナーを学ぶことで見えてくるのです。