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余命3年と告知されたなら

余命が3年だと告知されたならあなたはどうしますか?

一番の心配は残った家族が生きていけるのか?
余命の3年間をどのように暮らせるのか?
病気なのか怪我なのか体は動くのか?
告知されるのは病気の場合が多いのですが今回は天からの突然の告知です。

もしも後3年で寿命が尽きるとしたならばと考えてみましょう。

今は体も心も健康です。3年間その状態を維持することが重要です。

病気やけがは治療すべきでしょうか?
体が動ける状態でなければ治療すべきです。
痛みがあったり食べることができなければ自分の思い通りに体を動かすことができません。けがや障害になっても自分のできる範囲で動ける状態になればいいのです。

自分が動ける範囲がわかっていてその範囲を広げる努力をすることが3年間にすべきことだと思うのです。ではなぜ動ける範囲を広げる努力をするのでしょうか?

残された家族のために財産を残すのです。その財産がいかされるように導くのが残す者の使命です。財産を残すこともできずに負債を残すこともあるでしょう。それは自分の動ける範囲を超えて動いた結果です。

借金をするのは返せる自信があるからするのであって返済する自信がなければ援助してもらえばいいのです。物々交換の社会だと思って考えれば単純です。自分の動きの報酬以上に儲けてはいけないのです。

引き継いだ財産はいずれ消えてしまいます。自分で作った財産は引き継がせた時点でゼロになるのです。負債も同じで引き継いだ負債はいずれ消えてしまいます。自分で作った負債も引き継がせた時点でゼロになるのです。

3年間ですべきことは財産を残すことです。何世代も残せる財産とは生きるための知識と知恵です。人は個人で生きていくことはできません。組織が必要です。悪知恵の働く人は自分のために組織を分解させて個人にしてしまうのです。そして自分は個人ではなく組織の裏トップにつくのです。

表だって出てくることはしません。出てしまうと個人になるからです。表面を見ていては中枢を見ることはできません。ドラマより事実は複雑です。一番得する人が犯人とは限らないのです。

この交差点に信号機があれば死者が出ることは無かったと住民が思っても死者が出るまで信号機はつかないのです。身の危険を感じても事件が起こるまで犯人を逮捕できないのです。

予見することは大事なことです。3年後の不確かな情報より今の予見で一日一日を過ごせば3年先は毎日3年先になるのです。

予見と予知は違います。予見はあらかじめに見ることで予知と違って知ることはできません。予見は今の状態、条件で色々想定して想像することです。

予見できているのに防ぐための最善の策をしないのは悔やまれることです。

自分の寿命は予見できます。今の暮らしを続けていれば長生きはできないでしょう。さりとて暮らしのリズムを大きく変えることはストレスになりその先が予見できません。

少しずつ悪い習慣を改めて様子を見ていきたいと思います。予見を繰り返しながら財産を残す。そしてその使い道を探っていきたいと思うのです。

私の記事は財産です。