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子安神社がある学校あったらいいな

子安神社は。安産祈願と子供がすこやかに育つ事をお祈りする神社です。元々は、戦国時代にこの地を治めていた城主のお姫様が身篭った時に安産祈願をする為に神様をお呼びしてこの地に神社を作ったのです。

この地を治めていた城主は、戦いに敗れてこの地を離れましたが、子安神社とその居住地跡は大きな鎮守の杜となって残りました。そして村人は子安神社の物語を代々伝えてきたのです。

その昔、城主の娘の安産祈願を願う為に富士の山より神様に降りていただきこの地に住んでいただくようにしました。殿様は、娘を誰よりも可愛がったのです。そしてお婿さん候補を次から次へとお姫様に合わせたのです。お姫様は思いました。私を早く結婚させて追い出したいのねと思いました。そうではないのです。

お殿様は、家族と縁遠くて孤独な時間を長く過ごしたのです。奥方様と結ばれてから本当の安らぎとは何なのか、城主として民の幸せを願うのであれば自分が幸せにならなければならないと気づいたのです。

自分に子供ができた時、苦しくて大変だけれどももっと早い時期に経験していれば、これが家族の幸せだと気づいて楽しめたと思ったのです。

子供の幸せを願わない親はいません。自分の事より子供の事を願います。安産祈願は、子供の幸せとその子供の幸せを願うものです。苦しいかもしれません。でもその苦しみを経験しないとその先の幸せは手に入らないのです。

子安神社は、子供を幸せにする為には自分もその周りの人もさらにその先の周りの人も幸せにならなければならないと思って祈り行動する事を誓う場所です。お殿様は戦を続ける事は民の為にならないと判断して逃げることにしました。山城に鎮座していた神様は落城炎上にもかかわらず焼けずに残っていました。お殿様はふもとの住まいにこれを移しました。そして自分は他の地へ逃げたのです。

明治になってその場所を学校を建てる為に使いました。そして子安神社も残しました。それまでも大勢の人がお参りに来ました。学校を作る為に小さくなっても「子安さん、子安さん」と呼ばれて参拝者が後を断ちません。

今でも、子供の幸せを願う親がお参りにきます。子供の幸せを応援する為に。これからも子安神社のある学校あったらいいな。