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自由

自由の反対は不自由ではありません。欲望です。

あれがほしい。あれがしたい。自由が欲しいという欲望です。
自由が欲しいという欲望がなくなれば自由になれるのです。

どうすれば欲望をなくすことができるのでしょうか?

それは具体的に動くことです。動くと言っても体を動かすだけが動くではないのです。調査する。計画する。道を見つけることも動くことです。

道を見つけるとは段取りをつけることです。手品のタネを仕込むことに似ています。

あらかじめ52種類の隠し場所を準備しておけばトランプを隠すことができます。後は演出で不思議感を出せば良いのです。

物理的に不可能な事でも見た目だけであれば錯覚を利用して可能にできるのです。それが手品です。事実は可能な方法ですが、心実は不可能を可能にしたと思い込んでいるのです。

不可能なことをいくら考えても可能にはなりません。可能な事の積み重ねが不可能だと思っていたことを可能にしているのです。

欲望は心実です。事実が見えていないのです。「武士は喰わねど高楊枝」とは、「見栄張り」「プライドが高い」状態で事実を理解していないのです。

欲望とは心実と事実が一致していない状態だと思います。

今は実現できていないが将来は実現できる夢はただ追いかけて夢見ているだけならば欲望ですが計画を立てて一歩ずつ実現に近づけていけば事実に変わるのです。

自由とは自分の欲望のままに動く事ではありません。
自分の欲望のまま動くことは他人の自由を奪っているのです。
他人と自分、環境の違いなど事実を理解して動くことです。

自由と自由がぶつかり合うのではありません。
欲望と欲望がぶつかりあっているのです。

「自由人」と言われるのは欲望のままに動いているからです。

自由人と呼ばれないように欲望のままに動く前に段取りや根回し手品のタネを仕込むように前準備をしっかり行ってから動くのです。

想定外がないようにするのが「自由」で欲望の赴くままに動くと「不自由」になるのです。

スマホを自由自在に操れるようになるには知識が必要です。パソコン経験からスマホが自由自在に扱えるのはパソコンの知識があったからです。

自由自在にできるのは事実の積み重ねがあったからで、初めて扱うスマフォをいきなり思い通りに使えることはありません。

仕事も同じです。自由自在に熟せるには経験の積み重ねがあるからです。新しい仕事は前の経験だけで熟せることはないのです。

人生の経験は進歩ばかりではありません。後退も経験するのです。

欲望はいつでもわいてきます。動いていない時は欲望がわいているときです。欲望の中に浮かんでいるのが人です。

人は自由に動けます。情勢を見て、環境を見て、欲望を見て自由に判断できるのです。情勢も環境も見ないで欲望だけ見て動けば欲望は満たされないのです。

自由を手に入れたければ動かせるもの、動かせないものを知ることです。動かせないものを動かそうとしても動かないのです。

道をふさいでいる大きな石は動かさずに穴に埋めてしまうのが良いように農地がなければ高層ビルの中で水耕栽培やニワトリを飼うこともできるのです。

実現可能なことを積み重ねて不可能だと思われていることも可能にできるのです。

自由、自由自在になれるように応援します。

フレーフレーあなたとわたし。