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個人と団体

個人的には善人でも団体の一員になると悪人になるのは何故なんでしょうか?それは団体の中に悪人がいるからです。悪人は、悪人だとはわからずに団体の為だと悪の行為を正当化するからです。将棋のように王将を取られたら負けだとする団体を運営するのか、オセロのように一手一手が大切な団体にするのか、それとも囲碁のように対極を考えて進める団体なのか、人生ゲームのように淡々とやるべき事を進めていく団体なのかを 見極めて運営しないといけません。

社会は個人だけで成り立っているのではありません。なんらかの団体に所属していて、その中での役割があるのです。幼い頃は家族という団体、家族がなければ施設という団体で育ちます。そして教育という団体、その団体のモラルが生涯のモラルとなるのです。

善人でも悪の団体の一員だと悪人だと思われてしまうのです。悪の団体は永くは続きません。善の団体は、悪人を善人にする仕組みを持つ事で永く続ける事ができるのです。

善人と悪人の区別は、時代と共に変わっていきます。

戦争をしている時に、戦争反対だと言っている人は悪人です。戦争にならないように戦争の前に戦争を避ける施策を考える人は善人です。戦争に負けて、戦争反対だと言っている人も悪人です。戦争に勝って戦争賛成と思っている人は不幸です。

善人も悪人も時代で変わってしまうのですから善人になる必要はありません。

戦争を体験していなくて戦争にならないようにと普段から考える人になりたいと思っています。戦争の体験談は体験した人から直接聞く事ができました。気がつけば戦争中で爆弾で家が無くなり、身近な人が帰らぬ人となり、戦地では、ケモノになる体験をしたと聞きました。

団体は、悪人も善人になる集団です。団体は善人だけが所属する事ができるのです。団体の善人の基準とわたしの善人の基準とあなたの善人の基準が同じなのかはわかりません。

団体(集団)の数だけ善人の基準があるのです。学校の規則を国の法律よりも守るのが善人であると思ったり、団体のルールよりも上司の命令を守るのが善人であると信じられているのです。

善人だと思って信頼していたのに裏切られたと思うのは、善人の基準が違っていたのです。悪人でも善人でもない基準を持つべきなのです。

運命という基準を持ちましょう。自分に合わない団体には参加しない。自分の団体を作ってそれに賛同する人と働きましょう。

運命は、そう成らざるを得ない状況で、自分の判断では無いのです。団体が自分に合わなくて逃げる事もできないのならば、その中に自分の団体を作れば良いのです。癌になるか良性腫瘍になるか、もしくは新しい生命に産まれでるかもしれません。

自分だけでは、個人であって団体ではありません。家族も団体の一つです。自分も団体も運命で未来は決まっているのですからいくら考えても思い通りにはならないのです。

魔法のランプや魔法の絨毯が目の前に現れる事は無いのです。宝くじが宝くじを持っていないのに当たる事は無いのです。日頃からの努力が報われるかどうかはわかりませんが、努力をしていないのに努力が報われる事は無いのです。

苦しんでいないのに、苦しみから解放される事は無いのです。幸せから不幸になる事はあっても、死んでしまってから幸せになる事は無いのです。

運命に逆らう事は不幸です。なぜなら運命は自分の自由に成らないから運命というのです。逆らったところでどうしようもないのです。

運命を受け入れて次の行動に早く取りかかるのです。自分の所属する団体の運命を受け入れて次の行動に早く取りかかるのです。

運命は、一本道です。遠回りしたり長くなったり短くなったり細くなったり太くなったり暗闇や大雨となって、天気の良い日ばかりではありません。

個人でも団体でも進む道は同じなのです。

どのような団体に所属するのかは運命で決まっているのです。私たちはその運命の先を知らないのだから予測するしかないのです。予測が外れる事もあるでしょう。未来は決まっていないのと同じなのです。

運命を受け入れて次の一歩を踏み出しましょう。