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昭和史に決して残らないpanの物語6


前回までのpan

小学校高学年から中学にかけての怒涛の反抗期を終え、
バスケット部で心も体も鍛えられたpan15歳は
無事志望校に合格し、憧れの高校生活をスタートさせた・・
・・・はずだったが、
入学式の翌日、膝を痛め、
一カ月半の手術及び入院生活を送ることになる

第6話 pan、病院ライフをエンジョイするってよ

手術の時の記憶はあいまいだ。
ひとつ覚えているのは、下半身麻酔のため、腰にやたら太い針を刺されたこと。
動くと他のところがマヒするよ、と脅され、めちゃくちゃビビった思い出がある。

そして無事に手術は終了。
執刀医は色黒でダンディなO先生だった。
噂によると院内の看護婦さんと良い仲になっていたとか。←日本一いらん情報
ちなみに4年後、再度、逆側の膝を痛めて手術した時には、もういなくて、別の先生が執刀した。O先生の彼女はどうしたんだろう?←日本一いらん心配


一カ月半の入院というのは、病棟内に仲の良い友達ができちゃうくらいには長いものだった。

私と仲良くしてくれたお兄さんお姉さんは、それぞれ私よりずっと長い入院生活を送っている人たちだった。
ひとりは事故による脊髄損傷で車いすの24歳の青年Mさん、
もうひとりは先天的な病気(だと思う)で脚が麻痺してる21歳のお姉さんAちゃん。
術後のリハビリで理療室に通ううちに仲良くなった二人だ。

おそらくAちゃんは、Mさんのことが好きだったんだろうと思う。Mさんもそれを知っているけれど気づかないふりをしていたような気がする。
そんな、甘酸っぱい関係の中に割り込んでいったわけだが、泥沼になるとかそういうことは全くなく、ただただ元気印で世間知らずの女子高生が、病院生活のノウハウ(というより悪知恵)を、成人二人から学ぶ、という感じであった。


何を教わり、何をしたか。

その1:整形外科の病棟の患者は、内臓疾患ではないので、安静にしている必要がない
その2:その中でも若者は体力を持て余し、なにかというと病棟を抜け出して屋上でつるむ傾向がある
その3:病院のご飯がイマイチな日には、隣の中華屋から出前をとって食べる
その4:外出許可をとって病院を抜け出し、車いす&松葉杖で街に繰り出す


当時、母がその病院の小児科の婦長さん(今でいう看護師長さん)だったことをいいことに、非常に病棟の看護婦さんたちから厚遇されていた。なので、さまざまなことを”おめこぼし”されていたのだと思う。

今思うと、母の顔をつぶして申し訳ないことをしたと思うが、なんせ、元気印で世間知らずの女子高生なもんで、モットーは「親孝行」ではなく、やりたいことやっちゃえ!の方であった。

このように、術後のベッド静養の期間こそおとなしく病棟内で猫をかぶっていたものの、その後は病院内を我が物顔に跋扈し、理療室の先生に「そこの若者たち、うるさーい」と叱られ、屋上の常連になり、「退院したくないがやけど・・」とすら思う始末。

だって、ねえ。
高校生活の幕開けと同時に舞台から舞台袖に引っ込んじゃった身なもんで、また舞台に上がるのは相当な気力を要するって、元気印ながらにわかっていたんだろう。クラスには同じ中学から行った友達は1人しかいないような環境だったから。

しかし、いつまでも病院で遊んでいるわけにはいかない。

中華屋の出前冷麺は最高のごちそうだったけど、観念して今度こそ高校ライフが始まることになる。(続く)


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