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私が任意整理に至った経緯を思い出してみようと思う

東京に出てきて。

いつからああゆうお金の使い方をし始めたのか、大学に入ってからか。
私は関東近郊のど田舎から東京に出てきた。

大学にもろくに行かずに掛け持ちアルバイトに精を出し、自由になるお金が割とあった。
東京での学費を補うために加入した奨学金。2ヶ月に一度振り込まれる10万円/月の奨学金も、「余裕がなければ使ってもいいけど、大丈夫なら貯めておいてね」という母との曖昧な約束。仕送りをもらって家賃や光熱費などのベースの生活は成立していたのに。
自分の時間を切り売りして稼いだバイト代。それとはべつの(学生にしては)大きな余剰資金。
大学一年の入学時、母と一緒に行ったパルコで作ったクレジットカード。メインバンクで作ったクレジットカード。
その2枚のカードで、好きな服を好きなだけ買って、バイト代と奨学金が支払いに消える。そんなお金の使い方をしていた。

母と一緒に行った都内近郊のパルコで買ってもらった4000円ぐらいの布のバッグがある。もう流石に手元にはないが、早い段階でなんかダサいなと思うようになって使わなくなった。でも捨てられなかった。
当時、お世辞にもお金に余裕があると言えない状態だった母にとってはちょっと贅沢な4000円。そのバッグを見ると胸がギュッと苦しくなる感じがした。そんな中でも買ってもらえて嬉しかったという思い出ではなくて、こんなことじゃなくて自分のことに使えば良いのに、というような、苛立ちのようなものだ。
貧乏であるということがすごく嫌だった。母が自分の身なりに気を使わず家族のことに一生懸命になる姿も、スーパーでお金を払うときにお財布の残金を見て浮かべるあの表情も、高校の学費が引き落とされずに遅れて納付しに行った時の頭を下げる姿も、事業がうまく行かずに苛立ち母に当たる父の姿も、東京にいれば毎日見なくて済んだ。

何者かにならなきゃいけなかったので、デザイナーになった。

人とは違うことに価値があると信じていた。見た目であっても、資質であっても。
アーティストに強い憧れを持っていた。でもなれないことはなんとなくわかっていた。

就いた職業はデザイナー。
大学の友人と同じような、リクルートスーツを着るような就活はしなかった。
大学3年から、今となっては名前も覚えていないようなデザインのスキルだけを学ぶ夜間の学校に入学し、大学卒業する年の1月から、憧れていたデザイン事務所にアルバイト入社。その後社員になり、朝から晩まで夢中で働いた。
初めは大学に通う妹と暮らしていたので、家賃や生活費なんかを親に助けてもらうことが当たり前だった。
立派に安定した会社に就職した妹と離れて暮らすようになっても、親への甘えは消えず、
「得た収入の中で暮らす」ということが26.7になってもできないような状態だった。

そのころは、周りの先輩も貧乏していたため身の程は分かっていたようで、
高額な買い物をすることはなかったと思う。
古着を好んで、なんだかよくわからないものに小さなお金を使っていた。
ちりも積もればで、やはり自分の収入だけでは足りない。
マイナスの家計が当たり前になっていた。

よし、イタリアに行こう。

あるとき、先が見えない激務に終止符を打つため、イタリアに行こうと思いたつ。
学生時代に初めて行った海外旅行。その地で見たのは、今こそ商売どき!な日曜日に平気で店を閉める、なんだか「自分」というものを確立している、そう思わせる人々。あそこで暮らしたいと強く思った。
もちろん貯金は0円だったので、初めのデザイン事務所を辞めて、そのための資金を稼ぐために商社のデザイナーとして働き始める。
給与は飛躍的に上がった。
20万そこそこだった月の手取り額は30万円を超えた。
ちょうどその頃女性としてのモテ期も到来。
元が飛び抜けた美人というわけではなかったことで余計拍車がかかり、かわいいねと褒められることに自分の価値を見出し、洋服や美容にお金をかけ始めた。
高価なものというよりは、安くはないが手の届くそこそこのものを、月にいくつも購入するといった感じだ。新宿のルミネに足繁く通っていた。
この頃にはもうカードのリボ払いを平気で使うようになっていた。
一方仕事では、やる気と生意気さとガッツをかわれてか、海外工場での交渉や検査を任されていた。月に一度程度の出張。辺鄙なところだったので買い物できるのは空港の免税店がメイン。
外資ブランド化粧品を大量に買っては試し、若さゆえの肌艶を高級化粧品の賜物と思い込み、化粧品ブランド至上主義を確立していった。

そんな暮らしのため、当然海外に行くための資金は貯まらない。
目標はたったの100万円。結局50万円ほどしか貯まらなかった。
足りない50万円分は、なんだか安心な気がした三菱UFJ系のバンクイックで限度額いっぱい借りて補った。会社に在籍確認が入ったようで、人事から電話があった。カードローンでの契約であることは分かっていたようで、心配そうな声だったのを今でも覚えている。恥ずかしさを、これから海外へ旅立つ希望でかき消した。

イタリアで生活していた1年は、街の日本食レストランで稼いだバイト代と、日本でデザインで独立した先輩からもらえる仕事でなんとか食い繋いでいた。
現地の言葉もろくに話せない中、ある現地の男性と交際していた。
数歳年上の長身イケメンで、長く付き合っているパートナーがいる人だった。彼はグラフィックデザイナーで、世界中に展開する大手化粧品ブランドのパッケージデザインをしていた。
彼女が精神疾患を患っていて、逃げ場として私と期間限定の恋愛をしている、というような関係。私の帰国後もしばらくは熱烈なメールをくれていたが、しばらくするとそのメールが届くことも無くなった。
彼との関係で一番辛かったのは、自分がこれまで唯一持っていた「私は仕事だけは頑張ってきたんです」というアイデンティティを伝えられなかったことだ。対等な感じがしなかった。
私だって彼同様にクリエイティブな仕事をしてきたんだ。今は海外にいてレストランでバイトしてるけどでも、本当は。。。何者でもないわけじゃないのに、それが証明できないことに悔しさを感じた。仕事をしている時の自分だけは、自分で自分を褒めてあげられたけど、海外にいる自分はただカタコトでアルバイトするしかない。そんな毎日を受け入れられなかった。
「仕事している自分は何者かになれている」「何者かである私は、人よりエレガントな者に身を包み、人よりも特別。それが私の魅力。」「何者かでないと価値がない」
ミラノで培ったのは、丸裸になると何もできない自分から目を背けるために、クリエイティブな仕事に向かう自分に夢中になることと、質素な自分の内面を埋めるように上質な物にお金を使うこと。裏返したら良いことに捉えられそうだが、辛辣に言うならこういうことだったのかもしれない。

結局何者でもない自分。

日本に戻ると、現実が待っていた。
脳内お花畑で帰ってきた私は、叔父叔母のところに身を寄せる。
半年ぐらいここにいさせて、お金を貯めてまたイタリアに戻るから!といった私を、叔父は猛烈に叱ってくれた。「甘いこと言ってんじゃないよ!!100万の貯金もないなんて情けない!!!!」
怒られて初めて目を覚まし、大慌てで職を探す。1秒でも早く自立するために。
見つけたのは同じデザインの職。あれほど疲弊した業界にまた戻ってきてしまった。
膨れ上がったリボ払いを一括返済するために、楽天銀行のカードローンで借り換えを条件に180万円の融資を受けた。
業界的には中くらいの規模の設計施工の会社。社長は若くパワフルで、人望のある人だった。たった一年分のイタリアの風をビュンビュンに吹かせ、今思い返すと顔を覆いたくなるような恥ずかしいマウントをとり散らかしていたと思う。消したい過去の5本の指には入る。そんなクソ生意気な私を、広い心で可愛がってくれた女性の上司。今私は当時の彼女と同じぐらいの年齢になっただろうか。あんな包容力を私はいまだに持てていないな。してもらった分を私の後輩にしてあげられるかな。

楽天銀行カードローンで全額返済する約束を破り、一度返済した三井住友のANAカードの利用額もまた限度額の100万円ギリギリまで膨らんだ。
何者かである私は良いものを持たなければいけない!という謎のスローガンのもと、本物のトレンチコートと、グッチのトートバッグを購入した。スヌーピーカードというメインバンクのクレジットカードの枠全てを使い果たす。
翌月に利用後リボ払いへの設定を忘れ、支払いができなくなり、特別に分割払いをさせてもらうことになった。UFJニコスの温情措置に感謝しなければならない。
それでもお金の使い方は変わらなかった。
その自分の状況をまだ客観視できていなかった。100万円てこんなにも簡単に使えてしまう。大した金額じゃない、などと思った記憶がある。天晴れだ。

崩れたバランス、いよいよ止められた生命線。

その会社にも飽きてきた頃、シンガポールの日系企業への誘いが来る。もちろん乗った。
帰国後20万後半に落ち込んでいた手取り給料は35万円になった。
数ヶ月に一度、1ヶ月から2ヶ月のシンガポール出張を繰り返す日々。日本の家を自腹でキープしながら、シンガポールでの宿代以外の高額な生活費を工面する。キッチン付きの家を借りて少しでも健康的なものを、、とスーパーに行こうものならいちいち80SGDほど出費する。友人と食事に行くだけで100SGD使う。それに加え買い物もするし、日本に帰ればまた生活用品を揃え直す。ハイコストな生活を送っていた。
当時生活費の支払い全てをまとめていた楽天カード。手数料を気にせず手軽に現地通貨が引き出せるのでキャッシング枠も常に使い切っていた。
50万円のうち、30万円を超える額が航空券やシンガポールでの宿代ではあったものの、収入を大きく上回る額を毎月利用してほぼ全額返済し、その一部は分割払い、という危うい利用状況。毎月の給料は入金されてすぐに全額カードの支払いに消える恐怖。
ショッピング枠50万とキャッシング枠10万を毎月全額使いながら、他のカードの利用額も満額に近い状況。
守られていない楽天銀行との「借り換え」の約束。
ついに楽天カードが使えなくなった。一度も支払いを遅れたことはないのにおかしい!と電話をすると、「最近の利用状況を見ての利用停止」とただそれだけ。給料を超える額の生活費全てを楽天カードで支払っていたため、手元に残る現金も無いまさに一文なし状態。東京のオフィスで一人青ざめた。

震える手でネット検索。もう方法はこれしかない。任意整理。そうして法テラスに相談に行ったのだった。


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