1度目の妊娠と流産のお話
こんにちは、パン子です。
2度目の更新にして早速になってしまうのですが、私の流産の経験についてお話させてください。このお話をしなくては、私がnoteを始めた意味がないのです。
初めに断っておきたいのですがクソ暗いうえにクソ長いです。
ご了承の上お読みくださいませ。
妊娠発覚
前回もお伝えした通り、私は妊活を始めて3か月目(3周期目)にして妊娠することができました。
生理予定日当日、ちょうど1年前の今日でした。(これはまじで偶然、狙ってないです)
なんだか身体がぽかぽかして熱いな~そして足の付け根がやけに痛ぇぞ…と感じていました。
「これはいつもと明らかに違う・・・!」
そう感じた私は買っておいた妊娠検査薬を自宅のトイレでひとり試しました。
結果はくっきり陽性!
すご!ほんとにここに線が出るんだ!生理予定日1週間後からってパッケージに書いてあるのに全然反応するじゃん!
ってか、、、
私ほんとに妊娠したのね…お腹に赤ちゃんがいるのね…
感激屋の私はひとり嬉し泣き。アドレナリンでまくり。
とりあえずわたねこ(夫)が帰ってきたらサプライズ報告しようと決め、妊娠検査薬を持って帰宅した彼を出迎えました。
このときのわたねこの反応は…
「え。。。まじか。。。早くね…?」
てな感じでなんとも微妙な反応でした。もちろんこの後「嬉しくないの?!」と彼の反応を責めまくりましたよ。後から聞いた話ですがどうやらこんなにスムーズに授かるとは思っていなかったらしく予想外だったのと、子どもを授かったことの責任感とで困惑していたようです。可愛い奴め。
妊娠中
そんなわけで翌週無事に病院で胎嚢を確認することもでき、私はルンルンでした。わたねこがたまごクラブを買ってきてくれて、付属のマタニティマークもカバンに付けていました。
当時私はパートの事務職で都心に通勤していたのですが、つわりが早めにやってきて、しんどすぎるため直属の上司(男性)にだけ報告。理解ある上司ですぐに時短勤務にしてくれました。
それからはつわりとの戦いで、どうやら人よりつわりが重かったらしく、1週間で3キロ痩せました。パートも休みがちになり、恐らく周囲の人たちは私の妊娠に気づいていたと思います。
妊娠6週、少量の出血があり、怖くなった私は急いで病院に駆け込みエコーで診てもらいました。
先生「問題ないですね。妊娠初期の出血はよくあることなんですよ。あまり心配しすぎないでください。ついでに心拍も確認できましたよ(あっさり)」
え…!心拍確認できたの…!赤ちゃん無事だった…よかった…
赤ちゃんが無事だったこと、心拍が確認できたことに安堵して診察室を出てひっそり泣きました。よかった…よかった…!
そして心拍が確認できれば流産の確率は低いとネットで知識を得ていた私は、母と妹2人にだけ妊娠を報告。
母は初孫に舞い上がって、まだ性別もわからないのに早くもベビー服を探しあさっていました。母は20歳で私を産み、25歳(この時の私と同い年)で既に子どもを3人産み終えていました。末の妹を妊娠中に、大きな病気をして開腹手術をしましたが、それでも無事に産んだつわものです。もちろん流産経験もありません。
この時は母も、私も、全員が、「妊娠したら無事に産めるもの」と思い込んでいました。もちろん流産というものが存在することは知っていましたよ。でもそんな不幸が自分の身に降りかかるなど、考えてもいなかったのです。
妊娠8週、初めてわたねこと一緒に検診に行くことができました。赤ちゃんは前回より人らしい形になっていました。先生からも順調とお墨付きをもらい、ここで出産予定日も確定しました。6月4日でした。
妊娠9週、突然つわりがラクになってきました。ネットでは10週以降ラクになってくるとあったけど、少し早かったな、ラッキー、と思っていました。
妊娠10週、なんだかとってもお腹が張ってきました。便秘ぎみだったのでそのせいかな?と思いましたがトイレに行ってもずっとお腹が張っています。妊娠したらこんなにお腹が張るんだ…妊婦さんは皆大変だな…と思っていました。苦しすぎて眠るのも辛かったです。
流産宣告
妊娠11週、わたねこが友人の結婚式のため超遠方の実家へ帰省しました。その間、まだつわりがあったのと猫トイレの掃除はトキソプラズマが怖くて出来ればやりたくなかったため、真ん中の妹にお世話に来てもらっていました。そしてわたねこ不在の中、久しぶりの検診です。
この時通っていた病院は大きな総合病院で、先生は毎回違いました。この時の先生も初めて当たる先生で、若くて明るい元気な男の先生でした。
「パン子さんね!じゃあ早速赤ちゃん見てみましょうね!」
いつも通り下着を脱いで内診台に上がります。エコーの画面を見ます。
それは、素人目の私から見てもなんだかおかしいと感じるほど明らかでした。
赤ちゃんは前回より大きくなって、ほぼ人間の形になっていました。
でも前回は白く映っていた赤ちゃんがなんだか黒いです。
そして前回は見えていた、心臓があるはずの位置に何も見えません。
さっきまで明るかった先生は、ずっと「う~ん」とか「あれ?」とか言っています。看護師さんに別の先生を呼んでくるよう先生は言いました。
別の女性の先生が来ました。「これは間違いないですね」と言いました。
「パン子さん、ごめんなさい、赤ちゃんの心拍が確認できません」
「はい…」私はこの一言を絞り出すのが精一杯でした。
その後も先生は、信じられないといった様子でしばらくエコーで色んな角度から赤ちゃんを見ていました。赤ちゃんの心臓はやっぱり止まっていました。
その後内診台から降りた私に、先生は申し訳なさそうに流産について説明してくれました。
流産の原因は主に3つあること
①胎児の偶発的な染色体異常(これが初期流産の原因の7~8割であること)
②母体に原因があるケース
③夫婦のどちらかの染色体に異常があるケース
今回の流産もきっと赤ちゃんの染色体異常でしょう。だから自分を責めないでね、と。
そして赤ちゃんの大きさは推定9週、つまり亡くなったまま2週間以上お腹の中にいることになります。このままでは感染症の危険性もあるため、なるべく早くに手術で取り出してあげましょう。火曜と木曜どちらが良いですか?と聞かれたので私は「火曜」とだけ答えました。
先生の話を聞きながら私は涙が止まらなくて、何も考えられませんでした。
血液検査をして病院を出ました。いつもはタクシーで帰りますが、涙が止まらなくて乗れませんでした。歩きながらわたねこに電話をかけます。もしかしたら結婚式の最中で出れないかもしれない、と思ったけどやっぱり不在でした。LINEで赤ちゃんがダメだったことを伝えます。
母や妹たち、そして妊娠中に会う機会があって妊娠を伝えてしまっていた友人たちにも流産の報告をしなければいけません。
私は大通りの歩道を泣きながら歩いて、ひたすらスマホをいじる女。
いま思えば完全に不審者です。
こんな時に限って妊婦さんや赤ちゃん連れがよく目につきます。
それを見てさらに泣きます。
わたねこから電話が来ました。結婚式の合間なのか、周りからは少しにぎやかな声が聞こえます。それと対比するようにわたねこの声は静かで、落ち込んでいるのがわかりました。「大丈夫?」と気遣ってくれましたが、楽しい結婚式の邪魔をするのも悪いと思い「うん」とだけ答えて切りました。
家で待っている妹からは「迎えに行こうか?」と連絡が来ました。
でも、私はプライドが高くて、家族の前で泣くのなんて絶対に嫌なので、心を落ち着かせながらひとり歩いて帰ることにしました。
こんなに涙が出るものなのか、というくらい涙がずっと止まりませんでした。
何がいけなかったのかずっと自問自答していました。
ちゃんとあったかくしていなかったから?
栄養のある食事をとっていなかったから?
仕事をしていなければ大丈夫だった?
考えれば考えるほど、自分のせいで赤ちゃんを死なせてしまった気がします。
今思えば9週でつわりが軽くなったのも、お腹が張っていたのもすべて流産の兆候だったのです。何なら6週の時の出血も流産の兆候だったのではないか…?あの時にお医者さんでも気づけなかったんだろうか…
初めての妊娠で、わからないことだらけでしたが、お腹の中で赤ちゃんが亡くなっているというのに気づけなかった自分を責めました。
その翌々日、わたねこが帰ってきたので妹も自分の家に帰りました。
手術の前の晩でした。
彼と付き合って6年以上でしたが、彼があんな風に泣いているのを見るのは初めてでした。
2人でお腹に手をあてながらたくさん泣きました。
これが、私たち家族3人で過ごした最後の時間です。
流産手術
わたねこは私の手術に付き添うため仕事を休んでくれました。
早朝、わたねこの運転する車で病院に向かいます。2人とも無言です。
手術前には子宮の入り口を広げる処置をします。これが痛いのです…
生理痛×50倍って感じ。
リカバリールームで手術着に着替えてベッドで休みます。他の患者さんが来るまではわたねこも付き添って良いことになりました。
ずっと無言だった私たちは、ここでいつものようにお話ししました。
わたねこの友人の結婚式の事、わたねこ不在だった間の事、もうすぐ結婚記念日だから箱根に旅行に行こう、とか。
まるで日常のように、私たちは他愛もないお話をしていました。
あっという間に時間が経って、他の患者さんが来たのでわたねことはお別れになりました。
1人になって私は少しだけ浅い眠りにつきました。
隣の人の手術の準備で少し騒がしくなりました。
私も筋肉注射を打たれ、座薬を入れられ、点滴の準備に入りました。
カーテンで仕切られているため、隣の方のお顔は見えないけれど、ハキハキとした明るいお姉さんでした。手術前とは思えないほどしっかり受け答えしていて、「中絶かな…」なんて失礼なことを考えていました。
お姉さんの手術が始まりました。手術はすぐ隣の部屋で行われ、壁が薄くて声が聞こえてきます。
「麻酔入ります」と看護師さんの声が聞こえてきました。
すると酔っ払いのような、寝言のようなお姉さんの声が聞こえてきます…!
え…!麻酔ちゃんと効いてる…!?
私もあんな風になっちゃうの?!嫌だ怖い…!
突然手術の恐怖が襲ってきました。ガクブル
お姉さんの手術はあっという間に終わり、隣のベッドに運ばれてきました。
カーテン越しに、すすり泣くお姉さんの声が聞こえてきます。
そしていよいよ私の番がやってきました。
手術台には自分の足で上がります。
なんて残酷なんだろう、と思いました。
我が子とお別れするために、自分の足で手術台に上がらなければいけないのです。絶望感でいっぱいでした。
手術を担当する先生は、8週の時、最後に心拍を確認した時のベテランおじいちゃん先生でした。そう言えば、わたねこと一緒の最初で最後の検診で、生きている赤ちゃんを見れたんだな、ラッキーだったな…。
先生「パン子さん、残念だったねぇ、あの時心拍ちゃんとあったのにねぇ、あの後すぐにダメになちゃったんだね…」
私「はい…」そう答えると涙が流れてきました。
ごめんね、バイバイ、私の赤ちゃん。
看護師さんが麻酔を入れます。
急に腕が痛くなってきました。
私「痛いです…」
看護師さん「痛いですか?」
・・・・・・
いつの間にか眠っていました。目が覚めると手術は終わっていて、ベッドの上でした。
ああ、もう私のお腹の中には赤ちゃんはいない、からっぽだ。
喪失感でいっぱいになって声を出して泣きました。
泣いていると隣のお姉さんがカーテン越しに声をかけてきました。
「お疲れ様です!」
私はギョッとしましたが、「お、お疲れ様です…(?)」と答えました。
お姉さん「私ももらい泣きしちゃったよ~」
それから私たちはカーテン越しに色んなお話をしました。
お姉さんは子宮外妊娠で、突然のことで会社にも妊娠を伝えていなかったので明日からまた仕事だと笑いながら話していました。お姉さんは自分も辛いはずなのに、私に「まだ若いから大丈夫だよ!」「私の友達にも流産してしまった子がいるけど、その後無事に子どもを産んだよ」とたくさん励ましてくれました。私が「お姉さん、手術の間ずっと寝言いってましたよ」と伝えると「え~!やだ~!私いっつも寝言うるさいって夫に言われるんだよね~!」と笑ってました。初めて会って顔も見えないのに、私たちは友達みたいに笑いあいました。
リカバリー室で他の人に話しかけることについては批判もあると思いますが(私が中絶の可能性だってあったわけだし…)でも少なくともこの時の私はお姉さんに話しかけてもらえたことで救われたし心が軽くなりました。
カーテン越しで、お顔も見れなかったけど、いつかまたどこかで会うことがあったらお礼を伝えたいです。その時はお互いに赤ちゃんがいたらいいな。
後日、術後の診察のため病院へ行きました。子宮の中がきれいになっていることを確認します。もう赤ちゃんはどこにもいません。
そして赤ちゃんの検査結果が出ましたよ、と先生から説明を受けました。
「何も問題なかったので、育たない妊娠(赤ちゃんの染色体異常)だったということです。」と伝えられます。それを聞いて私は、「よかった、私の身体のせいではなかったんだ」と安心しますが、後日、これがとんでもないデタラメだったことを知ります。その話についてはまた後日。
以上が私の初めての妊娠と流産のお話でした。
自分の経験談をつらつらと書いただけなので、為になるお話もなくてすみません。でもどうしてもこのお話は書きたいと思っていたので退屈だったかもしれませんが書かせていただきました。
暗い話続きで申し訳ありませんが、次回は私の2度目の妊娠と流産のお話を書きたいと思います。またクソ暗い&長い話になってしまうと思います!
(簡潔にまとめるのむずかちぃ…)
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