僕のこと。
私は貧しくも富んでもない、普通の家庭に生まれたごくごく普通の男子18歳。
この春からは-某教育機関あらため大学という-広々とした監獄で羽を伸ばしながら生きている、毎朝頭に翼をふたつ携えて起き、水に頼りながら身と心を整える日々を送る一般的学びの囚人である。
背は特段高いわけではないし、どちらかと言わずとも低い方に属するから、レディースでも物によっては着れたりするのも妥当な男子である。
髪と爪は伸びるのが早いのと、ある程度の長さというものを保ってないと自我が保てないゆえ、不格好なやつと思われていよう。
稚拙かつ珍妙な言動が絶えぬあまり、他人類を困惑の巣窟へ誘うことも多々ある(らしい)蠱惑な平凡男子である。
ここで、疑問に思ってほしい。
普通とは一体、なんであるかを
普通とは、一般とは、妥当とは、平凡とは。
こうも整然と陳列されているのを見ると、滑稽なサーカス団でも見ているような感覚になる。
ジャグラーの手で投げられていくこいつらは、人目など厭わずに暴れ出す。
陳腐な言葉のバーゲンセールをしたら、最初の方になくなるのはこいつらだろう。
陳腐でチープで当然に使われて、誰にでも扱えて、だからこそ需要が高水準を保ち続けてしまえる。
なんとも不細工な様ではないか、笑止千万、と思えてくるのも不思議ではないし不粋でもない。
そいつが不摂生な輩だろうと、不遜な輩だろうと、みな口を揃えて言えるだけのつまらなさはあるはずだ。
道化をしているみたいに、でも世間と同化するみたいに消費されゆく言葉たち。
どうかしているとは、このことである。
不可思議だろうとこいつらは確かにいるし、不気味に思っても付き纏う。
不屈だろう、不潔だろう、不幸と思っても辛いだろう。
いつしか私の人生に、と言わずみなの人生にしがみつき縋り付いてきたこいつら。
私であれば、
「嫌いだ、好きだ、でもやっぱり好きだ」
とか言えなくもないはずなのに、こいつらは無駄足に思える。
それほどに私はこいつらを憎んでいるし、恨んでいるし、疎んでいるし、拒んでいる。
普通と言われれば可でも不可でもないと言われた気になり
一般と言われれば個性を否定された気になり
妥当と言われれば最高ではないのかとしょげ
平凡と言われれば他人の人生をラベリングするなと思い
etc……
私はこいつらが嫌だ。
こいつらを平然と使う輩も嫌だ。
それをさも、自分はそうでないかのように言う輩も嫌だ。
こんな私も、きっと人間である。
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