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「あんなになりたかった今日なのに」

ぺえさんには、以前からお世話になっている。

ご飯が美味しくないとき、食べたくないとき、なんとなく元気がないとき、ダラしなくてもぐだぐだしていたい、ポジティブな言葉が少ししんどいとき。

そんなときに見るぺえさんのYouTubeには癒しの力がある。
あ〜こんな自分でも生きてていいんだ〜
まあ悩んでても仕方ない。何とかなるか。
ゴロゴロしててもとりあえず一日過ごせられれば100点満点だな。
なんて思わせてもらえる。

元気ないときは、ぺえさんと渡辺直美さんのYouTubeを行ったり来たりするのが日課だ。


2022年9月15日に更新されている、ぺえさんのYouTube「【井上咲楽&ぺえ】娘の悩みを聞くAM 2:00」を見た。

コメント欄にも多く書かれていたが、咲楽ちゃんの「あんなになりたかった今日なのに」という言葉が刺さった。


「あんなになりたかった今日なのに」

最近の私はこの一言に尽きると感じた。

パニック障害になってから、以前のように日々を楽しむことができなくなった。
何の問題もなく食事ができて、睡眠がとれて、ひとりで外を歩くことができて、一日に一度も不安にならなかった日があったとしても、私は「電車に乗れるようになりたい、みんなみたいに自由に遊んだり仕事したりしたい。なのに出来ない。」と悲観的に捉えてしまう。

でもそれは違う。

ご飯を飲み込むことも、水分をとることさえもできなかった時期に比べれば、普通に食事ができるだけでも奇跡に近いことだし、一度も予期不安が起こらなかった日は、それに苦しんでいた日々を思えば 天国のような一日のはずなのに、どうして素直に喜べないのだろうか。

望んでいたことが普通にできるようになったとき、人はそこで満足なんかしないでその場にある不幸を探そうとしてしまうのかもしれない。

起きてしまったことはもう巻き戻らない。
あのときこうしておけば、ここでやめておけば、パニック障害になんてならなかったかも、なんて思うだけ無駄
だと思う。
でも、考えてしまうものを簡単にやめられない。

だからこそ、咲楽ちゃんの言葉を聞いてハッとした。

私がつらいと思っている今日、今は、いつかの私が望んだ今日なのだ。
そう思うと少し気が楽になった。

というか、自分のことが認めてあげられる気がした。

今日の私はいつかの私が憧れた私。
苦しかったあの日から頑張れたという
何よりの証拠。

少しくらいご飯が食べられなくてもいいじゃないか。
ダラダラした一日でも、1週間でも、生きていればそれでいいじゃないか。

早く大人になりたいと願ったあの日の私、今は自由だよ。
正直、子どもの頃よりつらいと感じる日々は多いけど、でも自由だよ。

何にも縛られず自分を大切にできる、してもいいのが大人なんだと思う。

比べるのは人とではなく、過去の自分だけで良いのだ。
今の出来ることを抱きしめて生きていきたい。


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