見出し画像

間のある暮らし

はじめましての方もそうでない方もこんにちは。
Mayuです。
カフェと囲碁ひだまりでの業務を終えて約1週間。
毎日やることが無いということがどれだけ幸せなことか。
ということを感じて生きています。

時間にゆとりができたので、
自分を見つめるためにもブログを書いていこうと思います。
今日のテーマは「間」。

【間とは?】

「人間」という言葉にも表されるように、
人には必要ばものだと思う。

それって具体的になんなのか?というと、
全てにおいてのゆとりなのかな?と。
お金だったり、時間だったり、関係だったり。

【消費】


お金に関して感じるのは、
都心にいると消費というものを考える「間」が存在しないということ。
家を一歩出ただけで常に「何かを買わせよう!」とする広告が目に入る。

それもすごく良くできていて、
「それを買うことがあなたのためだ」
と感じさせられる表現をしているものがほとんどだ。

つまり、本当は自分の売上が第一目的だけど、
そんなこと言ったら買って貰えないから
「あなたのため」と表面を取り繕い、美しくして伝えてくる。

実際、その人のためになると思うけれど、
記載されている表現ほど、
消費者の役に立つものなんてないのでは?と思う。

なぜならば、消費者側の人間性や考え方で
役に立つ立たないは決まるから。

これを自分の人生に活かす!と決めている人は、
そういう心持ちで購入し、能動的に自分で活かす。

逆に、買っただけで人生変わる!と受動的な人は、
思った以上の効果は得られないどころか、
思ったより効果がないと感じのではないだろうか。

私の場合だと囲碁の本がそれにあたる。
「良書」と呼ばれる本を買って、
数ページやって勝手に強くなった気になる。
でも実際効果は出ていない。

でも、本当はどんな本でも一冊買ったら、
それを10回くらい、全ての問題が解けるようになるくらいまでやれば、
必ず成果は得ることができる。

でもそれをしないのは、自分の甘えである。

話が横に逸れたけれど、
ちょっと考えればそんなのわかるのに、
それがわからなくなってしまうくらい、
都心は考える間を奪っていく場所だと、田舎に引っ越して気が付いた。

それは私の性格的な要素もあり、
周りのものに影響されてしまうから、
そういう訴えをキャッチしてしまう。
だから疲れてしまう。

じゃぁ田舎はどうなのか?というと、
そこまで消費させようとしてくるものがない。

国道沿いに見えるのは、
ラブホテルの看板だったり、
すごく遠くにある道の駅の看板だったり、
私が住んでいるところでは、
ほとんどが田んぼで、何かを売りつけてこようとするものはない。

つまりたくさんの「間」が存在する。
だから、消費させようとしてくるものに対して
「これっておかしくない?」と立ち止まることができる。

そのせいか、田舎に住んでいると「消費したい」という欲求がなくなる。
今の自分に必要なものは、
その日食べる食材くらいなので、
ムダ使いと言うものがほとんどなくなった。

田舎暮らしは逆にコストが高くなるという人もいるけれど、
私は圧倒的にコストがさがった。
消費に対して立ち止まる「間」があるから。

【ストレスとご褒美】

東京にいるときになぜあんなに消費していたのか?と思うと、
ストレスの大きさだと思う。

「自分へのご褒美」という言葉のとおり、
自分にかかるストレスが、自分の容量をはるかに越していたので、
「今日は頑張ったから買っちゃおう!」
そんな勢いで消費活動をしていた。

つまり、東京は稼げる街ではあるけれど、
その分自分にかかる負荷もかなり大きい。

その負荷を簡単に解決できるのは、
私の場合は消費活動だったんだなと思う。
疲れすぎて、買う買わないの判断ができる間なんて存在しなかった。

運動もストレス発散の一つだったけれど、
持病で運動できなくなってしまったので、
変わるものは「消費活動」だったと思う。

不思議なもので、
入ってきた分きっちりとお金がでていく。
ストレスを大きくすればするほど、
出ていくものも大きい。
「間」を求めて頑張っていたはずなのに、
逆にそれを無くす生活をしていた。

【お金で全てが手に入る】

自分の欲求を満たすものが全てお金で解決できる

それが東京だ。
田舎に引っ越して気が付いたことの一つ。

田舎に住んでいると、
お金で解決できないことがたくさんある。

・淋しくて夜遅くまで飲みたい!と思っても、お店がない。
・無添加の食材を買いたいな~と思っても、
歩いて行ける範囲内にいろんな食材を売っているお店がない。
・夜は街灯が暗すぎてライトがないと生きていけない。
しかし、ライトを忘れても、すぐに買えるお店がない。

などなど、田舎は都心に比べて不便だ。

しかし、不便だとどうなるか?
どうやったらそれを達成できるか「工夫」をしようとする。

お金で解決できないから、
自分が今手持ちにあるもので、なんとかしようとする。

なぜそれができるかというと、
やはり「間」があるからだと思う。

時間をかけて工夫するだけの時間がある。
そしてそれを楽しいと感じることができる。

都心だと、
その工夫はお金を生み出さない限り「ムダなもの」と捉えられる。
私もそういう考え方をしていた。
だから、問題が生まれたら時間を削減してお金で解決していた。
その方が圧倒的に早いからだった。

【人間はそもそも非効率】



仕事をしていて「それって意味あるんですか?」と
人から言われることも多々あった。

その文脈には、
「それをやることで、お金を生み出したり、私の時間がムダにならないだけの価値を生み出してくれるんすか?」

という言葉が感じられた。

何かを生み出さないならば、効率が悪い。
効率が悪いから「お金で解決する」のが東京のやり方。

効率化して時間を削減して何を得たかったんだろう?と今は思う。
あの時の自分に問いたい。
時間やお金がそんなに大事なのか?

時間が余ったらなににつかうの?ただダラダラと記憶に残らない情報を
得るだけなんじゃないの?
余った時間でビジネスのことを考えるの?

そんなこと言ったら、人間は究極的に非効率な生き物だと思う。
生まれた瞬間から死に向かうのであって、
そもそも効率なんてものはない生き物だ。
生き物の世界において「効率」を考えるの何て人間くらいな気がする。

【間のある暮らし】

こういう色んな事に気が付くことができたのも
仕事を辞めて田舎に引っ越して「間のある暮らし」ができるようになったからだと思う。

今までは起きている時間のうち、
ほとんどの時間を仕事のことで頭をいっぱいにしていた。

今はほとんどの時間を何も考えないことに費やしている。
今日なにか考えたっけ?と思い出せないくらい、何も考えていない。

ただ自然をみて、今日は空が明るいとか、
稲がそろそろ刈り取られる色なのかも?とか。

そういう毎日を送っていると、
間があるせいか、
今日は天気予報は晴れだったけど、雨が降るな~とか、
体の調子や自然の変化を感じ取れるようになった。

こういう感覚こそ、本来人間に必要なものなのではないのかなと感じた。

【まとめ】


東京での暮らしは本当にストイックだった。
行ききってたから、今の生活の大切さがわかる。
それも「間」が生まれたからだ。

私は不器用なので、全てをリセットしなければ、
「間」を作ることができなかったけれど、
都心にしても意識することで「間」を作ることはできる。

なにもしない時間がないという方は、
ぜひ一人で自分が心地よく過ごせる場所で、
間を作ってみてください。

それによって自分にとって大切なことが見えてくるかもしれません。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
また次回お会いしましょう。




サポートして頂いた皆さまには後悔させません!