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何者でもなく生きる幸せ

東京生まれ東京育ちの私が、
愛媛の田舎に引っ越して1年と3カ月が経った。
ようやく、自分に課していた何者かであるということという呪縛から
少しだけ解き放たれたと思う。

東京にいたときは、
何者かでなければならないと思っていたし、
生を受けた者の使命として、世の中の為に、誰かの為に、
何かの役に立ち、生きていかなければならないと思っていた。

でもそれは本当であり嘘だとわかった。

何者かでならないことの【本当であり】というのは、
都会にいる人や、ビジネスをやっている人は「何かの役に立つ」を使命にした方がいい。

少なくとも、今の時代は意味のないものは理解されないので、
やりたいことやビジネスをやっている人は「何かのため」はあったほうがいい。

自分は何者かになりたくなくたって、
美や才能を生まれ持った人は、小さなころから何者であることを求められるだろう。

或いは、求められていないんだけど、
都会は基本的に何者かであったり、何者かでなくても運やら実力やらで、
目覚ましい結果を残しているような人たちがたくさんいる場所なので、
何者かでないことが悪だったり、罪悪感を感じやすい場所だと思う。

そういう中で流されない人もいると思うけど、
私は流されやすいタイプなので、
何者かでいた方が、しんどいけれど何もしないより楽という方を選んできた。

選んできたし、
学歴がないので、そういう鎧をまとわなければ生きてこれなかった。

【嘘だ】は、田舎にいると東京のように何者かであることは求められないし、周りに求めてくる人も考えている人も少ない。
目覚ましい成功を収めている人も近くにいない。

だから、誰かや何かの為に生きているわけではなく
意味もなく、ただそこに存在しているだけでいい

誰かや何かの役に立ってなくたって、
自分が生きてて楽しいなと思える時間を過ごせることが本当に幸せ。

雨でだるくて一日寝ててもいいし、
今更ファミコンを引っ張り出して一日中RPGやるもよし、
思い立って山に行ったりもするし、
暑い日には海で泳いで、ギラつく太陽の下で眠るもよし

でも引っ越して半年くらいは、
肩書のない生活をしたことがなかったので、
不安にさいなまれて毎日を過ごしていた。

でも今は何者でもない生活が人間として自然体だと思えるようになったし、
ばりばり仕事をしていた時よりも、
穏やかな幸せを手にできている。

それに気が付けたのも、自然がそばにあったからだと思っている。
山登り、海、沢登、畑仕事

そこには虫や植物や広大な自然がある。

でも彼らは何かのために生きているわけではない。
天気が変わり、生き延びることがしんどい環境もたくさんある。
空気が薄すぎて植物が生息できない場所だってある。

それでも、その環境に合わせて、ただ生きるだけだ。

息絶えてしまうものもあるけれど、
それも自然なこと。

人間も自然物であると、
自然がある日常を過ごすようになり感じられるようになった。

都会にいたときは、それがわからなかった。
なぜならば、自然を極力排除した「社会」というものでできているのが都会だから。

確かに自然はあるけれど、ほとんどが人工物。

人がリラックスできるように、美しいと感じられるように
等間隔に植えられた木。
そんな美しい感覚で植えられたものなんて、
山を登っていて見たことがない。

自然<社会
これが都会にいたときの私。
でも、自然がないのがしんどかったせいか、
お花を買ったり、散歩したり、
できるだけ日常に自然物を取り入れようと心がけていた。

今は
自然>社会
体調が悪いので関わる人がおのずと最小限になった。

代わりに、旅をしたり、
旅先で山を登ったり、畑仕事をするようになり、
今は生活の中に取り入れようと頑張らなくても、
当たり前に自然がそばにある。

そばにあるというか、
自然でいること、自然があることが生活の一部。

山に行くにも海に行くにも境界線が一切ない。

そういう生活に居られることが本当に幸せ。
何者かでなくていいし、何者かでないことに罪悪感もない。
肩書がなくても日々自分がやりたいことをやって幸せに生きられている。

私は追い込み系の性格なので、
自分を追い込んで追い込んで病気になってしまいました。
同じように追い込んだり、仕事や人間関係に悩み、
体を壊してしまう人の参考資料の人になったら嬉しいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。



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