パンドラの散歩「おでん」

【注意!】このおはなしには『睡姦の末に彼氏を昏睡状態に陥らせてしまった女性』が出てくるのでそういった内容が苦手な方はブラウザバック推奨です。

鬱蒼と生い茂る闇夜の森を歩いている。霧の中に二人の人影が見え近付いていくと話し声が聞こえる。
「あの子は全然ダメですね」
「素行もどうしようもないし厄介です」
人影が振り向くと、それは私が小学生の時の恩師たちであった。あと虫ゾンビもいた

うあああーーーーーっっっっ!!!!!!!!

自分の叫び声で目が覚めた。悪夢だ。しかも現実の人間関係が歪んだ形で現れる、後に尾を引くタイプの悪夢だ。しかも虫ゾンビもいた。
小さい頃から真面目というか規範に従う以外の生き方を知らずやってきた私にとってかなり堪える夢だった。まったくいやなものだ。寝る前になにか飲んでいたら漏らしていてもおかしくないくらいの夢だ。最悪だ。私はもう大人なのでおねしょをしたりするはずもないが、とりあえず布団と下着を洗濯にかけてからアテントを買いに出かけることにした。

夜の散歩は昼よりも気分がブチ上がるので、刺激に慣れてしまわないよう時々しかやらない。だって気持ち良すぎるよ、こんな暗いのに歩いてるの。夜の散歩が危なかったのはほんの少し前の常識であって、確か大航海時代にはもう街のあちこちに街灯やネオンサインが出て明るくなっているのだから、通行人にだけ気をつけていれば問題ないだろう。なによりコンビニが明るい。コンビニの明るさはすごい。太陽の光を反射しているとしか思えない。ところで月ってなんで黄色く見えるの?わかんないよなあ……。

物思いに耽りながら歩いていると、コンビニ程ではないにせよ夜道をやさしく照らす赤ちょうちんが、おでん屋の屋台が、見えた。入った。もうノータイムで入っちゃった。だってこんなシチュ入るしかないじゃん。お前はどうしたい?返事はいらない……。(feat.米津玄師)(昔はハチだった)

おでん屋の主人は静かな感じの人で、白髪頭にハチマキを巻いた、いかにもというスタイル。目の前でおでんのケース(そうとしか言いようがない、あれなんて呼べばいいの?)がグツグツして、ダシダシした匂いを漂わせている。さっそく大根としらたき、昆布をもらう。まぁまぁ焦るなって。はんぺんとかちくわぶとか、ウインナーとか煮卵とか、あとで必ず頼みますから!!!!!!!!!!!!!!!心配しないでよ……まったくこれだからおねしょ垂れの素人ボウズはよ……。それはそうと、屋台には先客がおり二つ離れた席に座る黒髪ショートカットの女性がいた。その顔は俯いており、なんだか事情アリという雰囲気だった。

おでんたちがやってきたので、割り箸をパキッとやって大根にズブとさす。柔らかすぎない、ちょうどいい硬さの大根がふたつに割れる。気持ちい〜〜〜っ!それの片方を火傷に気をつけながら慎重に、しかし食欲優先でひょいと口に入れる。出汁のしみた食感が堪らない。私はかなりおでんの大根が好きだ。生ではあんなに攻撃的な根菜が、おでんでは気のいい叔父さんみたいな顔をするのはなんでなんだ。おでんなんでなんだポイント贈呈。これだけの大根を提供するこの店、他のタネも間違いなく絶品に違いない。

先客の女性はどうやらごぼう巻きとしらたきを食べている。ごぼう巻きとはやるな、私はまだ自発的にごぼう巻きを食べたことがありません……。そんな恐るべき彼女を警戒してか、店主が声をかけた。
「お客さん、随分暗い顔してるよ。髪入っちゃうよぉ。」
しまった。静かそうだという印象は完全に誤りだった。明らかに静かな人の文節数ではなかった。そんなに俯いて食べてたら髪が入ってしまう、という気遣いとジョークのちょうどどちらにも属せなかったはみ出し者のような残念な一言をつけてしまっている。あぁ恐ろしい。自分だったらなんと返せばいいかわからないし、ましてや先客さんは何か抱えこんでいる様子だから余計にだろう。なにか恐ろしいことが起こる、そんなシミュレーションを脳内で二十通りくらい見てしまった気がしてげんなりする。

彼女は小さくすみません、と申し訳なさそうに呟いて顔を少し上げたが、その顔はまだ私の位置からは髪に隠れて見えなかった。
ぜんぜん物静かじゃない店主は、
「何かワケありだね。話してごらんよ。俺でよければ聞くよ?笑」
と一息で言った。お前でいいわけがあるかい、と私は思ったが女性はいえ、と泣きそうな声で絞り出して、それきり黙った。
なんだか店主のイメージが崩れてから大根も煮崩れしているような気がしてきた。出汁がベシャベシャに染みて中途半端な食感だ。昆布もしらたきも、どっちがどっちだかわかんないような味に感じる。あーあだ。マジで店主さえ口を開かなければなー、と思いながら次のタネを適当に注文した。何を頼んだのかもよく覚えていない。なぜなら、
「じゃあさ、イエスかノーかだけ答えてよ。俺当てるから。恋愛絡み?」
と店主が強引に推理ゲームを初めてしまったからだ。やめやがれ。お前はウミガメじゃなくてダイコンのスープを作っていやがれ。女性客は女性客で、はい……とか普通に答えてるし。答えたらこのゲームが始まっちゃうだろ。しかも当たってるのかよ。当てるなよ。私のざわめく心などそっちのけで店主は図に乗りだす。
「おっ、じゃあ〜、失恋?」
「まぁ、はい…」
デリカシーが無さすぎるだろ店主テメー!!!!!あんたもあんたで、わざわざ答えに微妙なグラデーションをつけるなよ!!!!!!うわこれごぼう巻きじゃねぇか!!!!なんでごぼう入れてみようって思ったんだろ〜な〜、もっと挟む野菜あっただろ思い付かないけどさ〜、セロリとか〜、セロリは違うか〜。

「もしかしてフラれちゃったとか?そんな可愛いのにぃ?」
オォーーーーイ質問のカスさは一旦置いておくにしても、いらねーーだろその一言は余計だろーーーがーーーーァーァーァー(やまびこ)

「いえ……」

ほらぁぁぁ言わんこっちゃないよ質問への否定なのか褒めへの謙遜なのか微妙に分かりにくい感じになっちゃってるじゃんかよーーーーォーォーォー(やまびこ)
早く出てーなーでも店主も女性客との推理ゲームに夢中でさっきから私の器を適当に盛り付けまくってるからどんどん具材が増えてって出るに出られないんだよなーーーもう破綻してるよこの屋台

「じゃあじゃあ〜」
とその後はなぜかお相手である彼氏さんの性格とか見た目とか、彼女の恋愛遍歴とか全然関係ないことを聞きながらかなりぐだぐだと会話が進行していた。会話といっても、女性客の方は俯きながらはいとかいいえとか答えるだけで、どれだけ店主の側が盛り上がっても一切調子を変えず始終暗いままだった。私もぶくぶくのおでんを口に運びながらなんだか気になってきて、彼女に何があったのか聞くまでは帰らないくらいの気持ちでいた。夜空が少し青みがかってきて、鳥が鳴き始めてた頃だった。脱線しながらというのも大いにあったが、それでも店主の質問はいつまで経っても彼女の核心に触れることはなく、ついに私の方へ話が振られた。
「お客さん、ずっと聞いてたでしょ、気になるよねぇこの子の話。どう、お客さんからも質問してみてよ、ねえ」
店主の話し方にもすっかり慣れてしまったが、急に自分に振られて驚いた。しかし流石にそろそろ店を出たい頃だ。もう大根だけで2本分くらい食べている気がする。煮卵なんて間に合わなかったのか温泉卵みたいな状態で出てくるようになっていた。
しかしここまでの2時間ちょっとで判明した事実は意外なほど少なかった。彼女が大学生であること、彼氏はひとつ上で同じサークルの先輩で、来月で付き合って2年になること、ほか初デートの場所などの補足情報がつらつらと……。重要そうな情報としては、失恋というには多少込み入っておりフッたフラれたの話ではなさそうなこと、人に話せないような事情が絡んでいること、解決の見込みがなさそうなこと……。あまりにも曖昧で、余計に推理が難しくなるようなヒントばかりだがここは根気よく、地道に質問を続けていくんだ、と考えていた矢先、
「なかなかキスから先へ踏み込まない彼氏にしびれを切らし睡姦してやろうと睡眠薬を盛ったが誤って彼氏を昏睡状態にしてしまった?」
と店主が当て推量を口にした。
「はい……」
そっか、そうなんだ……。店主は少し困った感じでそう呟いた。会話はそれきりだった。私は紙おむつを買い忘れたまま家に帰って布団を干した。

もし幸せな夢と悪夢のどちらかを選んで見られるならどうするか。私は迷わず悪夢を選ぶ。悪夢は覚めれば少しマシな現実が待っているが、幸せな夢から覚めたあとは、悪夢のような現実を生きながら次の夢を待つだけなのだから。
私は出汁で渇いた喉を沢山の水で洗い流し、替えの布団で二度寝した。

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