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パンドラの散歩「偶橋」

最も怖いことはなんだろうと考える。大切な人に忘れられること?逆に大事なことを忘れてしまうこと?忘れてしまったことを忘れてしまうこと、それを思い出してしまうこと……。
ちなみにこの世で一番怖いのはジャンプスケアなので、ビックリ演出を創作物に取り入れてる人は全員かなり(お前が思ってるよりもかなり、だ)多めに納税してください。

先日、友人が専門学校の卒業制作展に作品を出していたので観に行った帰りのできごとである。
別な予定を控えた私は暗いその街を急ぎ足で駅まで向かっていた。小雨が降っていたが、雨よりも傘の方が煩わしいと思って気にせず歩いた。大きめの公園を通り抜けたら脇道から駅まで近い、と展示で会った友人に聞いていたため、比較的人通りの少ないその道を進んだ。一本の傘に身を寄せ合うカップルや、大小の傘をさした三人家族を追い越しながら歩く。ふと、目に留まったものがあった。道と公園側の草むらを隔てる柵が始まっている石柱に「偶橋」という石彫りの名前が刻まれている。ぐうばし、と読むのだろうか?橋とついているがこの道は普通の遊歩道と変わらないもので、もし橋があったとしたらずっと昔に周りが埋められて普通の道になったのかもしれない。散歩は好きだが道路工事には明るくないのでそういうことにしておく。
気には留めたが聞き慣れない名前であること以外には何もないのでそのまま早足で進んだ。

すこし歩くうち、妙な感じを憶えた。別に怪談じみた怖気を感じたわけではないし霊感の類にはどうも縁がないので妙というのは言いすぎだと思うが、なんだか周りを歩く人達に違和感がある。違和感……?傘を差す人が多いので表情はよく見えないし、挙動に不審なところは無さそうだ。しかしなんというか、“組み合わせ”が、変だ。
こんな経験はないだろうか。外を歩いていて、前の二人組は一体どういう関係なんだろう、友人、いや同僚か?兄弟って感じでもないしなあ。と周りの人達の関係性がなんとなく気になること。私がこの偶橋で憶えた違和感は、通行人の組み合わせに対するものだった。

塾帰りらしきカバンを持った小学生くらいの男の子と、緑色のレインコートを着た長身の男性。
赤ずきんのようなフリフリのロリータを着た女子大生くらいの女の子と、並んで歩く老人。
ランニング中と思しきスポーツウェアのおじさんと、キャリーケースを引く中東系の観光客。
太ったおじいさんと、太ったおじいさん。

違和感だ。もちろん、ありえない組み合わせという程ではない。誘拐、パパ活、道案内、未来から来たサンドウィッチマンといくらでも推理することは可能な範囲だが、それにしてもおかしい。おかしい気がする。しませんか?????
悶々としていると突然後ろから声をかけられた。
「Яァ!そこンヌっヌッアッヒトリー!ぅあーいでしょぉっ!!」
文字にすると化け物じみてしまったが、ちゃんと人型をしていた。さらに言うと、普通の痩せたおじいさんの姿をしていた。ちょっと薄着だった。私がギリギリの人語に戸惑っていると、おじいさんは私の隣に寄ってきて
「しょぁアいしょー、ここでヒトリィーは、あぶぁいっからぁ……」
と並んで歩き始めた。本当に恐ろしい。だがその様子から敵意は感じなかったため下手に刺激するよりは信号や曲がり角で上手いこと別れるのがいいだろう、と判断して適当な相槌を打って歩いた。老人はしきりに何かを話しているが、滑舌かなにかのせいで言葉が聞き取りにくく、曖昧な返事をしながら周りをキョロキョロすることしかできなかった。そのときある事に気付いた。先程の中東系観光客の人が歩いている少し前の方に、同じようにキャリーケースを引く中東系の観光客が4人、固まって歩いていたのだ。やはりおかしい。たまたまということも勿論考えられるが、それでもこの5人が同じグループであると思ってしまうのは、果たして早計だろうか?いや絶対一緒だって。違うかなあ。もし同じグループだとしたら、1人だけランニング中のおじさんと歩いているのは明らかに変だ。ツアーガイドさんにしては明らかにランニングの途中感が強すぎるし、ふくらはぎが引き締まり過ぎている。あれは毎晩鍛えてないと維持できない。いくらバスの中で立ちっぱなしのツアーガイドさんとはいえ、忙しい中であんなふくらはぎになれるだろうか。あれはほとんど馬だ。そうでなければ流木だ。ストイックが過ぎるだろう。勢い余って口をついた無意味な偏見は置いておくにしろ、さっきからその2人は一言も口を聞いてないみたいだし、言葉が通じないのかもしれない。ストイックなツアーガイドさんとハブられた観光客が喧嘩中、と言えなくもないが。なんだそれは。ずっと何を言っているんだ。ずっと何を言っているんだといえば、私の隣の老人もずっと何を言っているんだよ、本当に。
「∠から、kkぁね、ショショリとかさんッにんでwatacchyarァーいけない、ハシなのぉー、」
なんだか老人のリズムに耳が慣れてきて少しだけ聞き取れるようになってきた。しかも、どうやらこの道についてずっと教えてくれていたようだ。いよいよ真剣に耳を傾けてみることにした。

しばらく聞いていると、なんとなく話の全貌が見えてきた。老人は幼少期からずっとこの近辺に住んでおり、「偶橋」(ぐうばしで多分合っていた)は彼が大人になる頃に大規模な道路工事のため取り壊されて埋め立てられ、その後も舗装を繰り返して今の遊歩道ができたそうだ。橋の歴史はさておき面白いのはここからで、この道にはあるルールがあるという。それは必ず偶数人で歩かなくてはならないというものだ。一人や三人で歩く者がいれば、橋に棲むなにか(固有名詞を言っていたが聴き取れなかった)に呪われる、と老人は言っていた。ちなみにそのなにかが数えられないほど多すぎてもいけないらしく、六人以上は危険なので必ず二人か四人で渡りきるという暗黙のルールがあるそうだ。なるほど、これで謎がいっぺんに解けた。つまり今までに見た彼らはこの橋のルールを守って、その場に居合わせた他人と一時的にバディを組んで通行していたということだ。かなりスッキリしたが、みんなどこでそういうルールに気付くんだろう……と引け目を感じたりもした。

そんなわけで無事偶橋を渡りきると老人は感謝とも注意とも別れの挨拶ともつかない言葉をくしゃくしゃと呟いた。私も老人にありがとうございましたと言って振り返った。
視界の向こうには二人組や四人組になって歩く人達がいた。そういえば急ぎ足でみんな抜かしてしまったのか。老人はよくついてこられたものだ。老人の顔を見るとしわくちゃに歪んでいた。人間の顔では見ることのない形の皺で、それははっきりと発音した。
「話を聞いてくれてありがとう。ごちそうさん。」
私は戦慄した。視界の奥で通行人だった人々が老人と同じ形の皺を浮かべ、にたりとこちらを見て笑っている。夢中で駆け出すと、目の前に駅が見えた。ハッとして辺りを見回すと、大通りに出ており周りには人が沢山いた。信号の赤い光に照らされて、寒そうな顔が見える。皆、当たり前のように一人で、二人で、三人で、好きな人数で行動している。振り返るとそこには遊歩道があり、石柱に『遇橋』と彫られていた。その下には説明文があり、
「この遇橋にはとある伝承があります。橋を一人で通行する者の前には橋に棲む恐ろしいものがなにかを語りかけてきて、その声に耳を傾けてしまうとそれは通行人の『なにか』を食べてしまうそうです。昔の人はそれに遭遇しないようこの橋を遇橋と呼び、一人で渡らないよう恐れていたそうです。ここを一人で通る時は決して誰かと口をきかないようにしましょう。」
呆然としている私の横を、傘をさした三人家族が夜ご飯の話をしながら通り過ぎていった。

それから、私の身の回りになにか災いがあったというようなことはない。もちろん何かを失ったという感じもない。そりゃそうだ。何かを失ったとして、失ったもののことを思い出せるわけがないし、思い出せないのなら失っていないも同じことだからだ。

最も怖いものはなんだろうと考える。だが、それらに優劣をつける必要はないのではないか。大なり小なり、怖いものは怖いのだ。そして、それは大抵いやなものだ。恐怖や不幸に大小があったとして、それで得をすることはない。あるのはただ、怖い思いをした人間の鳥肌が並んでいるだけなのだ。ところで怖いと恐いの使い分けってどうしてる?迷うよね。恐い、だと洋ホラーとか怒られるこわさ、怖い、だと和ホラーとか死の恐怖とかそんなイメージが勝手にあるなあ。そんなわけでジャンプスケアを徹底的に弾圧していきましょう。今度はデラックススーパーウルトラ激うま帝国金谷ロイヤルドバイホテルのまんじゅうお茶詰め合わせ徳用24パック8574544個入り がこわい………………………………。

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