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『ヤクザときどきピアノ』【読書感想文】

Twitterを長年やって思い知ったのは、自分には、膨大な頭の中身を140文字に纏める才能はないということだ。

何かを発言しようとすれば、事実のほんの要約か、さもなければ紋切り型のTwitter構文に終始する。
言いたいことを書いているようで、その実何一つ表現できていない。
自分が書いた言葉なのに、何を書いてもこれはほんの上っ面で、同時にひどい虚構だという感覚を拭えない。
定型文のようなツイートは自分でも見ていてつらかったが、それでいてやめられなかったのは、文章を書くということに対する未練がどこかにあったからだ。

僕はロックンロールをやっていて、長いあいだ音と言葉とは、僕が命をかけてもいいと思える唯一のものだった。
演奏は長くやっている割にはずっと下手だったが、音と言葉とリズムを組み合わせる才能には自信があった。
演奏が下手な分、言葉が一番の武器だった。

10年前に経験した病気を契機に、ありとあらゆる『自分自身だけのための行為』が贅沢品になった。
『自分だけのために言葉をつづる』ということに人生の情熱の多くを費やしながら、この10年すっかりそれを投げ出していたのは、それがあまりにもエネルギーを必要とするからだった。

人生の前半分に注ぎ込んだエネルギーが膨大すぎて、すべてが変化した人生の後半で、同じようにやれないことは明らかだった。
注ぎ込むべきエネルギーも時間も、もう持ち合わせていなかった。

そうして未練がましく音楽と言葉にどこかでしがみつきながら、レコードもかけない、自分のための文章も書かない、ギターの埃もときどきしか払わない。そういう人生を10年以上過ごした。

今思えばじつに馬鹿馬鹿しい悩みでもある。
いったい何に悩んでいたんだろう。

140文字という枠の外に一旦出てしまいさえすれば、こんなにも自由だ。

とはいえほんの最近まで、そこにはたしかにはっきりとした手触りの、透明な壁があった。

こんなふうに、極めてプライベートな感情について記したのは、『ヤクザときどきピアノ』を読んだからだ。
この本について何かを申し述べようとしたとき、なにか自分のいちばん生々しい部分をきっちりさらけ出さなければいけない、という気にさせられた。
この本は読んだ人にある種の誠実さを迫る。

それは、著者に対する誠実さではない。本に対する誠実さでもない。
読んだ人の内側にによびおこされる、情熱に対する誠実さを迫る。
それこそ、頭に銃をつきつけるみたいに。


鈴木智彦氏の書く文章がすきだ。
どれだけ精緻に推敲を重ねているのだろうと思う。
書くことと書かないことの抑揚のつけかたが上手い。
自身の視点をみせる部分と、私見を抑制する部分のバランスがいい。
独特の臨場感がある。
はじめは内容に関心があって読むようになったこの著者の本だったが、いつの間にか文章そのものに惹かれて買うようになった。

まえがき冒頭の2文がもうすごい。

よく「日本語で読みたい英文」のようなフレーズがあるが、このまえがきの冒頭部分は、英語で読みたい日本語だ。
キャッチ―な導入に引き続いて、それなりの長さの人生を生きてくると、じわじわと心当たりのある感情が、軽快な筆致とエピソードでならべられる。
抑えきれない共感と羞恥にもかかわらず、ぐいぐい読んでしまう。
読んだうえで再度その感情を味わうべく、何度も読み返してしまう。

ただの共感性羞恥なら、今どきネットのどこにでも転がっているが、何度も読み返したくなるまえがきは、そうそうそこらに転がっていない。

表紙のあおり文だけでも充分に引きがあるが、本文はそこから想像するより何倍もやんちゃで痛快だ。
引用したくなる名フレーズ揃いだが、ここはひとつぐっとこらえて、あえてしないことにする。
あの名フレーズの数々に、初めて出会う楽しみを奪いたくない。

だから、だれかに勧めるときは「とりあえずまえがきだけ読んでみて」ということに決めた。
それ以上の推薦文句を思いつかない。


この本の熱にアテられて、下手なピアノと下手なギターをまたはじめたくなったので、物置になっていたピアノの上を片付けている。
情熱を感じることをやるのに、遅いということがあるはずがない。

それに、とギターをチューニングしながら気づいた。
今の世の中には、YouTubeの講座も、ネットの解説もあふれている。
せっかく10年のブランクが空いた今がチャンスだ。
独学の癖をかなぐり捨てて、Eからやりなおしたっていい。

image0ヤクザときどきピアノ

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