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庚子はしりがき(十谷あとり)/去年の2月頃からのこと(とみいえひろこ)

庚子はしりがき

2020年10月7日


二〇二〇年の春から夏、どう過ごしていたか、思い出せることを書き出してみたい。一生活者の体験の断片も記しておくことで後々何かしら意味を持つかもしれない。そうであればいいと思う。


一月某日
中国の武漢という街で新型ウイルスによる感染症が出ているとのニュースを見聞する。観光客の移動に伴って、早晩大阪にやって来るだろう。今年の春節は一月二十五日。


二月某日
まだ手にしていない絶望もあるはず武漢のおんなら舞えり  髙瀬一誌

twitterのタイムラインに流れてきたこの歌に、重い衝撃を受けた。髙瀬さん独自のリズム。具体的に何とは書かれていないが破滅の匂いがする。その匂いの渦の中、衣を曳き舞う女たち。 武漢という地名の文字と響きのいつくしさ。

今回の感染症を詠んだ歌ではないとわかっていても、このタイミングで出会ってしまうと、重ね合わせずに読むのは難しい。既に手にした絶望の上に、また重ねて絶望がやって来るなんて。

この歌、全歌集に当たって表記等を確認したいと思っているのだが、まだ果たせていない。図書館に行きたい。図書館で本を借りたい。

三月から四月
わたしの雇用は継続となったが出勤日数は半分以下に減った。夫の工場は除菌関連商品の扱いもあり平常通りの勤務。システムエンジニアの長男は在宅勤務に。美容師の次男はサロンが入店しているショッピングモールが休業となった。

仕事に割り当てていた時間が自分の手許に戻ってきて気付いたこと。心身の疲れ。家の中の埃。収入減がもたらす窮屈さ。働いてさえいれば、何かから存在を許されているように感じていたこと。本を読みたいという欲。

パンデミックがあってもなくても、いろんなことが苦しい。けれどこうなった今、何か憑物のようなものが落ちて、自分が我に還ろうとしているようにも感じる。誰にも会わず、どこにも行かず、何もしないでいる時間が必要なのだろう。自分には。

五月某日
とは申せ、誰かと会って短歌の話ができないのはつらい。今回の所謂自粛生活の中でそれが一番つらい。日月の編集委員のWさんに電話する。春の歌会を中止した代わりに、郵便を使った歌会を試してみたいと話す。ぜひやってごらんなさい、と言われ、段取りを考える。封筒、住所のシール、印刷、切手、会費をどうするか。

六月某日
大阪市立中央図書館へ。閲覧用テーブルに備え付けられていた椅子が撤去され、図書館に棲みついているように見えた年配のひとたちの姿がなかった。 カウンターの傍にいたら盲導犬を連れたひとが来館した。応対に出た職員に「いやあ久し振りでね」と何度も話しかけているそのひとの声は弾んでいた。

六月二十五日
団地の空室の内覧に行く。今の住居の契約がこの秋に切れるので、次の住まいのことがずっと心懸かりであったものが、五月末から急に話が動き出した。夫の勤め先の近くで、わたしも通勤できるエリアを探し、吹田市内を選んだ。引っ越しをするのなら、仕事に行けない今がいいのかもしれない。

七月二十日
新しい部屋の鍵をもらいに行く。よく空いた阪急電車で淀川を渡る時、換気のために開けてある窓から刈草の匂いがした。

七月二十一日
明後日に引っ越しを控え、夜、五年近く住んだ団地とのお別れに屋上に上がる。小雨が降っていた。夫はハルカスを眺めながらベンチで缶ビールを飲んだ。わたしはこの日のために買っておいたシャボン玉セットでシャボン玉を飛ばした。シャボン玉は眼下の街灯の光を受けて少しだけ光り、低く流れていった。

七月三十一日
仕事の帰り、団地の集合ポストを開けたら、文通歌会の詠草の葉書が届いていた。会の仲間が出詠してくれたことがうれしい。全部で十六首揃った。これできっと、いい歌会になる。


プロフィール
十谷あとり(じゅうや・あとり)
一九六五年大阪生まれ。二〇〇〇年より短歌を書き始める。「日月」所属。著書 歌集『ありふれた空』(北冬舎/二〇〇三年刊)、『風禽』(いりの舎/二〇一八年刊、二〇一九年大阪短歌文学賞)。
このたびの転居の際、二十年以上使っていたファックス機(感熱紙タイプ)がつぶれました。
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『風禽』は、奈良県大和郡山市の書店「とほん」さんでお買い求めいただけます。金魚のまちの素敵な本屋さんです。
https://www.to-hon.com/
『風禽』を委託で置いて下さる書店さん・古書店さんを探しています。メールにてご連絡いただければ助かります。本の好きな方の目に触れさせてやりたいと思っています。
konohanabunko08@gmail.com

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vol13_十谷あとり01


去年の2月頃からのこと

2021年1月29日

更新にずいぶん間があいてしまい、関わってくれている人に連絡もしないままですまない、ああ、ああ、どうにかはしないと……

というのがいいかげん煮詰まり、とりあえずは自分で書くしかないと思いつつ、しかし書きはじめたらぼろぼろと自分の嫌な卑しいものが文章に現れてしまうはず、でも、仕方ない。

6月頃だったか9月頃だったのか、この英数字の形あたりの頃から異様に眠い期間があった。ホルモンバランスが崩れている気配があり、そのまま更年期の入口にいる。

思春期や産後の時期が自分にとって心身ともに最悪な時期だった。後から「わたしの」あれはホルモンバランスの乱れだったのではと思い当たり納得した。あの頃の感じにだけはなりたくない。絶対に無理しない。どこかで辻褄を合わせられるうちは。と、眠りに眠った。

「人との距離」を多くの人が意識するようになり、1度目の「緊急事態宣言」が出た頃の、あの静けさ。自分のまわりからさーっと何かが引いていくようなあの感覚は不思議だった。街中で見知らぬ誰かから唾を吐かれる、怒鳴られる、ということが消えた。ただそういうことは自分が年齢を重ねるとともにだんだん減ってきてもいた。

2月、茶屋町での打ち合わせがちょうど終わるタイミングで、自分の子の小学校の先生から電話がかかってきたのだった。休校要請が出たため学校がお休みになりますという電話だった。

マスクをつけると心が裸になり自分の頭のなかが丸見えになってしまう感覚があった。周囲がリモートになり、さまざまな動きがあり、届いてもほぼ開かなかったアパレル系のメルマガのポジティブで地に足のついた感じが好きになり毎朝読むようになったり、眉毛を全部剃りたくなったり、サブスクにたくさん登録したりした。

音楽を聴き何もかもどうでもよくなる感覚を味わった。ときどき本を何かの恨みのように読むようになった。「今、書かれたもの」を読むのが苦手だったのが、そうでなくなった期間だった。

「アベノマスク」が届き、畳に投げつけ、拾って自分の子に見せた。


ただ、

あの、ものごとが止まる時間がなければ、わたしは自分のこの現在の道筋をつけることが絶対に出来ていなかったと思う。

いつからか、突き詰めていけば「お金」のことに集約されるさまざまなものごとについてどう自分が間に合うかということばかりを途切れなく考えつづけ、もう狂いそうというときがある。実際にはなんとかなるはずなのだけど、その一連の独り相撲のような儀式自体が自分にとっての何かの方法なのかとも思う。

とはいえ、やっぱり、あの期間がなかったらどうなっていただろう。公助とうまく出会うことが出来ず自分の身の回りのものをかなり追い込むところまでいってしまっていたかもと思う。今は法律も制度も整っていていい時代なんだというのが、自分の範囲での実感としてある。

自分が絶対に壊してはいけないものを壊してしまうのではないか、すでにそうしてしまっているのではないか、それも無知のため、意図せずに。という不安はながく自分の命綱でもあると思う。その自分についても時間をとって確認し、了解して、とりあえず今自分がどこまでやればいいかというのが自分のなかで決まっていくようになった。

引っ越して自分がいる場所が出来、何かひとつ「逃げ切った」ような感覚がある。体が動くようになり、ぎりぎりの「基本的なこと」が出来るようになった。眠い波が来るけれど。

逃げ切るまでの長い時間のなかで、日々の生活を営むための家事や朝起きて夜眠るということ、「基本的なこと」について、自分としてはもう落ちるところまで落ちていた。またいつ別の落ち方で落ちるかは分からない。命綱がもっとほしいとまだ思う、その自分の過剰さが苦しくもある。


プロフィール
とみいえひろこ(とみいえ・ひろこ)
「かばん」「Cahiers —カイエ—」「舟の会」「半券」で短歌を書いています。十谷さんの文章をきっかけに『髙瀬一誌全歌集』を読んだ10月でした。
日記や超短篇など https://hirokotomiie.hatenablog.com/


PDFはこちら

https://drive.google.com/file/d/1Zqhdir8dXqbKNq6wRryagttq3Kyn38rX/view?usp=sharing

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