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【あなたがここに存在したんだ】

プロフィールにもあるように、私は夫を2015年2月に看取った。肺癌ステージⅣを告げられ、半年間の余命だったが、1年と半年間生き、その間、私は仕事を縮小し、できうる限り夫と共に在り、国内のあちこちをドライブした(私は車の運転ができないから、もっぱらドライバーは夫)。春の桜を見る前に、つくしの息吹の手前で、さようなら、または、次回あの世できっと会う日まで。
夫は15歳年上で、薔薇苗、山野草、切り花クルクマ・シャロームを取り扱う園芸家だった。世界最小(ギネスブックには登録費用がかかるからと申請していないが、花の直径が1cm以下でピンク色の花弁を持つまるで宝石のような)のバラ・ピンクジュエルスを交配して生み出した人物でもある。
私はザル(大酒飲み)なのに、夫は下戸だった。私は好き嫌いなく何でも食べられるが、夫は嫌いなものが多かった(牛乳、キノコ全般、ニンジン、冷たい豆腐、火を入れたキャベツ、辛いものなど)。私は髪が長く黒々としておるが、夫は抗癌剤治療の前から、前頭部はツルツルだった。私は精神科医として働いているが、夫は自らの死に至る過程は、私の仕事にとって大切な糧となるだろうと、入院中薬剤師さんに語っておった(のちにカルテ記録で知ることとなる)。そんな夫の最期の3日間。夫(おっと)ぽん&妻(ちま)またはダーリン&ハニーと呼びあっていたものさ。

【夫ぽんの死にまつわる実録記憶の3日間・その1】
2015年2月18日(水)
私の外勤先の外来診療は多忙で遅くまでかかる。前の週が休日だったから、予約が集中してしまった。夕方遅くに夫ぽんの病室に駆けつける。看護婦さんに呼び止められ、日中に夫ぽんの血中酸素飽和度が急激に下がったことを告げられる。肺癌末期で癌性リンパ管症まで進んでいたから、想像はしていたものの、溺れるような苦しさのはず。
私は慌てるが、ちょうど夫ぽん実家から、夫母の誕生日にと猫餌を贈ったのをありがとう受け取ったわと私の携帯に電話がかかり、その際に、夫ぽんの病状が不安定で長くないかもしれないから、と伝えた。私の実家へも、先行き不透明ながら、近いうちに一度来れたら来てねと電話をかけ告げる。
病室へゆくと、夫ぽんはよろよろしながらも、食べ物を受け付けずすべて喉を通らず吐いたと述べながらも、点滴棒を引きながらトイレに自力でゆく。でも、夫ぽんの呼気から、死ぬ人独特の腐敗の臭いが私には感知されはじめていた。
しばらくしたら、夫ぽん実家から、夫ぽん母と弟さん家族と、近い親戚が見舞いに駆けつけて来てくれた。弟さん達が夫ぽんやみんなの動画を撮り、夫ぽんは、あとは頼むわと言い、できたらずいぶん会っていないから実家にいる猫達の姿が見たいなあと述べた。
みんなが帰ったあと、夫ぽんは眠りたいけど眠れないと、苛立つ。その後、せん妄状態に陥り「カーテンに巻かれて捨てられる、消えるのは嫌だ」と言いながら、うろうろしガタガタ暴れる。酸素飽和度が下がる。
私は夫ぽんを落ち着かせようと抱きつくが、振りほどくように手足をバタつかせ、うろたえる。内服した睡眠薬と鎮静剤は効いておらず、私は夫ぽんを太ももで羽交い締めしたが、暴れ倒され、看護婦さん達が駆けつける。私は、麻酔薬ドルミカムを使うかどうか悩むが(ターミナルのせん妄で使うと、まずは覚醒まで引き返せない、つまりは寝させたままとなる)、にっちもさっちもいかないから、静注のドルミカムを使うことを頼んだ(支持した)。

ドルミカムが投与され、夫ぽんは静かに眠りだす。酸素飽和度は回復し安定する。夫ぽんは何事もなかったかのように、すやすやと眠る。
付き添いベッドで私も横になる。夜更けにまた呼吸苦でバタバタ暴れ、酸素飽和度は下がり、ドルミカムをさらに濃度を上げて投薬する。酸素マスクへの酸素流量を上げる。夫ぽんは意識が落ちて眠る。朝が来る。夫ぽんからは、じょじょに腫瘍が空気に触れたとき独特のターミナル臭が放たれ、死の臭いが強くなる。

【夫ぽんの死にまつわる実録記憶の3日間・その2】
2015年2月19日(木)
朝が来て、あまりにも久々に気持ち良さそうに夫ぽんが穏やかに眠っているから、だから、もう一度意識のある中で言葉を交わしたいから、ドルミカムを止めて目を覚ませたくなる。主治医が来室したので、麻酔薬を一旦止められないものかと頼む。しかし、そのやりとりの最中に、麻酔薬が効いているはずなのに、さっきまですやすや寝ていた夫ぽんはバタバタと暴れだす。ああ、目を覚ませばせん妄状態であり、呼吸苦が襲うだろう。きっと醒まさせてはいけないのだと覚悟する。やはり、このまま眠らせていて欲しいと、思い直す。
お昼前に、夫ぽん母及び弟さんが、約束をしていたわけではないのに、たまたまエレベーターで、私の両親と乗り合わせ、一緒に訪室する。
家族達はドルミカムで静かに眠っている夫ぽんが、目を覚まさないものか、覚醒して欲しいと言う。見せてあげたいと、猫達の動画も撮ってきてくれていた。
しかし、私が席を外した隙に、夫ぽんはバタバタ暴れだし、看護婦さん達も駆けつけ、家族達が困惑し、やはり眠らせていてあげて、という。ドルミカムが効いている限りは、安らかで、でも少しずつ酸素飽和度は下がり、酸素流量は上げてゆく。
午後から、親しい友達や親戚たちがかわるがわる集まる。意識のない夫ぽんに、それぞれに声をかけ、私たちは交流する。
夕方になり、私の携帯に宅配便屋さんから電話がかかる。夫ぽんが少しでも好きなものが食べられたらと、当日時間指定で頼んでいた、夫ぽんがこよなく愛したラーメン屋さん「無鉄砲」の豚骨ラーメン冷凍便を、自宅に届けに来たが不在で、どうしたものかと言う。事情を伝えたら、病院まで配達してくれた(ほんとはあかんらしい)。私は電子レンジでスープを解凍し、居合わせた皆がガヤガヤと見守るなか、指にスープをつけて夫ぽんの口の中へ指を入れる。眼を閉じたまま夫ぽんは味わうように、ちゅうちゅう吸う。
私は今晩か明日が山だと思う、何かあったら連絡するからと告げて、みんなが帰り、病室で二人っきりになった私は夫ぽんの横で、夜通し手を繋ぎ、添い寝する。ずっと話しかけながら、すると夫ぽんは、まるで聞こえているかのように、応じるかのように、タイミング良く右脚を動かす。カーテンを開けた窓には、夜空がうつる。
空が白みはじめ、病室の窓からきれいな虹が見えた。まるで、あの世とこの世をつなぐ道に見えた。死ぬのは今日だと思った。何回も顔や唇やお臍や足の指にチュウをする。

【夫ぽんの死にまつわる実録記憶の3日間・その3】
2015年2月20日(金)
夫ぽんは眠り安らかながらも、じょじょに酸素飽和度が下がり、酸素を10Lマックスで流しても、時折SPO2が60%台まで落ちる。夫ぽん家族が来る。おにぎりを持ってきてくれたので、食べる。お腹が空いているのかどうかもわからないまま、飲み込む。
共通の友達が来室したり、親戚が行き来する。理容士資格を持っている看護助手さんに夫ぽんのヒゲを剃ってもらう。プライマリの看護師さんに、夫ぽんの爪を切ってもらい、それぞれ部位ごとに小袋に入れて保管する(我がフェチだから)。点滴を自己抜去しないために飾りで貼っていた、可愛らしい絆創膏をはがし、鞄に仕舞う。
今日、夫ぽんは死ぬと思うから、来週いっぱい休みにしますと、医局に連絡しにゆく。外勤先などに穴が空かないよう手配してもらう。
私が病室に戻ってから、階段状に酸素飽和度は下がって行き、努力呼吸になってゆく。夕方4時には、SPO2が40%を切り、臨終に向かう。主治医や看護婦さん達が来室し、最期のときを、夫ぽん母と弟さん家族と私で囲み、私は夫ぽんに跨がるようにして手を握り、最期の虫の息、ラストの一息まで、共にいる。あなたは、大きく一つ呼吸した。
微弱ながら反応のあった心電図がフラットになり、死へと移行した。

エンゼルケア(穴からの流出をスプレーで塞いだり、清拭や軽く死化粧を施す)を、夫ぽん家族も共に居ながら、私と看護婦さん達とで行い、持参した着物を着せた。葬儀屋さんが来るのを待つ。
準夜帯と夜勤帯の重なる時間帯だったので、お世話になった病棟の看護婦さん達が、総出でお見送りしてくれる。まるで花道のようだ。
私は、数日帰宅せず付きっきりで風呂にも入らず着たきり雀だったから、服からは自分の垢と脂の臭いが漂い、その上に夫ぽんの死臭が重なり、さらにエンゼルケアの際のクレゾールのような香りが混ざり、葬儀屋さんが来て線香臭さが上書きされる。
移送する霊柩車は、奇しくも夫ぽんが乗っていたルーフ付きのクラウンと同じ車種で、私は葬儀会館まで夫ぽんとのラストドライブとなった。

夫ぽんの親戚や私の実家家族が、葬儀会館に駆けつけ、通夜と告別式の段取りが交わされる。私は妙なテンションで、気丈にでもなく、笑いながら、その場にいる。葬儀屋さんに桜色の素敵な棺に、オプションでランクアップする依頼を行ったり、あちこちに電話連絡したり、美しく永眠している夫ぽんの額をペチペチ触ったりする。

その後の通夜と告別式でも、濃密な時間を過ごしたが、それはまた別の機会にでも記すかもしれない。とりあえず、実録3日間、もっとたくさんあったけれど、これだけをなぜか今書きたくなった。

・ ・・以下蛇足感満載な追記。
夫ぽんはターミナルで2015年1月半ばから入院していたから、私が居ないときに、夜間や私が外勤先に出ている最中に、夫ぽんが一人のときに、死亡したらどうしよう、そんな不安をダクダクと抱えていた。
でも一緒にいるときには、なるべく淡々と笑ったり泣いたり怒ったり軽口を言い合ったりしながら、普段通りの二人で、でも、苦しいくらい濃い愛のように流れる透明な塊(カタマリ)を、一生懸命二人で交わしあい瞬間ごとに生み出していた。
いつ死に別れても、悲しみに押し潰されながらも、私は私とあなたの手を離さないように、あなたの魂から目をそらさず、まるごとそのままを享受し最期まで一緒にいられるように。そんなことを、広く深く願い、関わる人たちや空間や時間や立ち上がる現象すべてに祈っていた。夫ぽんの死をちゃんと看取らせてほしいという、私の人生において唯一存在した希望がすべからく叶い、私はとても世界に感謝している。
夫ぽんの完璧な死は、生まれてきたときに、世界と夫ぽんとの間に交わされた約束が、たぶんすべて果たされから訪れたのだと思う、それくらい死に至るプロセスが素晴らしく凄かった、さりげなく思わず夫ぽんを心から敬愛するほどに。
死によって、私と夫ぽんの間の生身同士の強い絆は解消し、夫ぽんは私にとってもっと空気のような包みこみ見守る存在に変化したのでしょう。
今でも、大切なポイントごとに私には夫ぽんからの声や指示が聴こえることがある。そして、それは現世という物理学上時空間で、愛する存在を失った身には、まるで当たり前のように光が射し込むように起きうる現象なのだろう。精神医学や病理学より太古から、この世界にふんだんにある単純な事象なんだろう。

そう、今のうちに記録を書き下ろしとけ、とゴーサインを出したのは、他でもない、夫ぽんその存在からのテレパシーだったのだもの。でもって、夫ぽんの指示を支持した私は、休日にガラケーでパチポチとオートマティックに記事を打ち、掃除機をかけ、洗濯機を回し、薄い布団を洗う。あとは庭の草むしりと木々の剪定の指令も夫ぽんテレパシーにて降りてきてはいるが、なかなかもって間に合わず、ぼうぼうと生い茂る。


・・・春が来る。

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