「エッセイ」ってワードが重く感じる

 本屋に行って「エッセイ」の棚を見るのが最近億劫に感じる。

最近はエッセイブーム(個人的にそう思ってる)みたいで、本屋に行くとエッセイの新刊が毎週のように大量に出てる。文芸書の新刊コーナーとほぼ同じスペース使ってるあたりに需要の高さが透けて見えるし、足を止める人も他の棚と比較して多いっぽい。僕もなんだかんだ興味のある本は買ってしまうし。
書いてる人もTHE・著名人的な人から一般の労働者まで業種も業界も様々で、この書き手の多様さも「エッセイ」ブームの根拠の一つになるんじゃないだろか。
平積みされてる本をチラ見するだけでもミュージシャンに芸人、シナリオライター、研究者、料理人、宇宙開発に携わってた人、果てはタクシードライバーのような特殊ではない職業の人もエッセイを書いてる。

みんな、知らない誰かの日常と価値観に興味があるのねぇ。
それは、とっても良いことなのねぇ。


でも、こうやって「エッセイ」ってジャンルが人気になればなるほど書き手のレベルも上がり、結果的に「エッセイ」全体への期待値とかハードルまでものすごい上がったように思う。


なんだろう、抽象的表現しか出なくて難しいけど。

エッセイって軽く書くんじゃなくて
『エッセイ』って鍵括弧で書かないといけないような

そんな感じ。




てかそもそもエッセイってどんな意味なのよ?日記と同じようなニュアンスで受け取ってたけど実際違ったりするの?と思い、「エッセイ」の意味をネット検索してみた。
そしたら、

①自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文。随筆。随想。
②特殊の主題に関する試論。小論。

の二つが主要な意味として挙げられるらしい。

②の意味で使うこともあるけど、みんながパッと思いつくのは①なんじゃないだろか。


じゃあ①の意味で考えたときに、果たして自分は『気軽に』自分の意見を述べる散文なんて書けてるのかしら?と思案すると

まったく気軽じゃねぇ。

この1年、『エッセイ』を『気軽に』書いてきたつもりだけど、結局満足いくのが書けるのなんて大体月1本か、2か月に1本が限界で。
暇な時間ができるとずっっっっと「おもしれぇ文書きてぇなぁ~」ってばっか考えてる。
それはそれで良いんだろうけど、それだと気軽に文章が書けない。たとえ書いても納得がいかなくてすぐ消しちゃう。

多作でありたいわけでは決してないけど、もっと気楽に書きたいわよ。


これがまた自分の難儀なとこだと思うのだけど
じゃあ公に見てもらう前提の『エッセイ』ではなく、個人的な『日記』って考えて書けばいいじゃん!と思っても

「いや、僕の日記なんて面白いわけないじゃん」

みたいな思考が不意に頭を掠めてくのでこれまた書くハードルが(別の意味で)上がる。

やばいな、書きたいのに八方ふさがりで書けないわ。





なんてことをここ数日延々と考えた結果

①面白いけど書くのに時間が掛かる『エッセイ』と
②つまらないけど定期的に書く『日記』の
二本立てにしてみよう

という結論に至った。
「毎日」ではなく「定期的に」と書くところに自分のリスク管理癖を見たような気もするけど、まあそれはそれでいいだろう。




てことで日記を書こうと思いたったけど、日記の書き方ってよくわからないのでSNSで面白い日記を書いてる人の書き込みをたくさん見てたらこんなおもしろいもの書けない……って落ち込んだのが今日の日記になります。

明日も余裕あったら書きます。


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