案外、人は、自分のためだけには頑張れないのかもしれない
「自分が成長したい!自分が前に進みたい!」とばかり思っていると、結果的には、あんまり頑張りきれないし、虚しいよねっていう話。
いつも自分が200%やりきれた、胸いっぱいだ!!と思えた経験には必ず思い出す大切な人の存在があった。
一番に思い返すのはベトナムのカフェで店長として働いていた時。お店に来てくれるお客さんもそうだけど、やっぱり一緒に働くベトナム人のスタッフに「ここのカフェで働けて良かった」「このカフェのみんなと一緒に働けて良かった」と感じてほしい気持ちが強くあった。だから20歳でビジネスのことも何も知らなくて、不器用で、店舗運営もビジネスと呼ぶには程遠い状態で、すごく悔しい毎日だった。それでも毎日に虚しさを感じたことはなかった。
21歳の時、自分が中学時代に頑張れなかった数学の勉強を徹夜でがんばれたのも、そこに大切にしたい人生があったからだった。
「僕はやりたいことを実現するために、行きたい高校がある。けど学力が足りない、どうしよう」という中学3年生の丸坊主を見て、自分ひとりでは絶対にやらないであろう数学の勉強をずーーーっとやりつづけて、毎日のように授業をしていた。
「先生、合格したよ!!!!!」という言葉を照れながら伝えてくれた顔を見て、よくわからない幸せな感情で胸がいっぱいになった。よかった、って思った。
そんな自分が初めて強く虚しさを感じたのはいつだろうと考えると、大学4年生の頃にやっていた民泊の清掃代行の事業。この時は事業の売上としてはすごく好調で、右肩上がりに上っていたけど、事業運営はボロボロだった。毎日トラブル、クレーム祭で、大学も休んでずっと働き続けた。当時、一緒に働いてたメンバーがやめていった時の辛さたるや、トラウマレベルだった。振り返るとこの時は「自分が成長したい」という気持ちが強すぎたんだと思う。
たしかに、当時は大切にしようとした人の顔が思い浮かばない。どうやったら自分のビジネススキルはあがるんだろう?どうやったら自分にとって良質な経験になるだろうかということばかりを考えてしまっていた。結果的に、四六時中、働き続けた末に体も心も疲れて、虚しくなって、辞めてしまった。
20歳のころの自分と比べると、よくも悪くも大人になってしまったと思う。今強く感じることや、心から目の前の人の幸せをを願うことよりも、自分の未来への不安から妥協することがある。計画的に、戦略的にと、今この瞬間に燃え上がる感情を自分自身で消火してしまうこともある。悲しいなと感じる。
このnote色々なことをダラダラと書き続けていただけれど、一番誰に何を言いたかったかというと、もっと「自分が○○をやりたい!!!」の気持ちの中に自分以外の存在を入れてみたら?ということを伝えたかったのです。一番伝えたかったのは今の自分に対して。自分がワクワクすることとか、心が動くことを知ることも大事だし、よく生きるために必要なことだとは思うけれど、~~のためというのがある人はもっともっと強いんだと思う。
どれくらい心から周りの人の幸せ、良く生きることを願えるかが、
結果的には自分の人生の豊さも決めるのかなと感じたのでした。
おわり。
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