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傷ついた経験がない人は、弱いのか|おかえりモネ

何かの折に、被災した人を想うたび、私には声をかけられないな、と思ってしまう。

私には到底、想像もできないような痛みを経験した人たち。軽薄な言葉を発するくらいなら黙っていた方がいいと、ついつい逃げの体勢に入ってしまいたくなる。

震災を思うたびに自分の器の小ささに直面する、そんな私の心に響いたのは、朝ドラ「おかえりモネ」の台詞たちだった。

おかえりモネでは、「他人の痛み」というテーマを、とてもリアルに描き出している。

津波を見ていない萌音は、それを見た妹や幼なじみに対して引け目を感じ、コンプレックスを抱いている。萌音の幼なじみたちは、全員被災者であるのに、中でも津波で母親を失ったりょうの前では、震災の話ができない。一方、被災していない萌音の同僚の神野さんは、被災した萌音を意識して「私なんて平和に生きてきちゃって」といった発言をする。

それぞれが密かに、自分と他人の痛みを比較して、微妙な気の遣いあいをしている。他人を気遣える人同士だからこその関係性だけど、果たしてそれは、やさしい世界だろうか。

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私はInstagramのストーリーズを見るのが苦手だ。

SNSの時代になって、見知らぬ人の生活やステータスを見られるようになって、人はますます自分と他人を比較するようになっている。

SNSが切り取るのは生活の中のごく一部の、他人に見せたいような部分であって、それが生活の全てじゃない。頭では分かっていても、みんなの華やかなストーリーズを見るたび、ドキッとしてしまう自分がいる。

それは、キラキラした写真に対してもそうだし、Twitter上のハードな愚痴に対してもそうなんだと思う。自分より大変な人、がんばっている人がたくさんいて、自分の痛みなんて大したことないや、と思ってしまう。

(しかも匿名性と拡散性があるTwitterでは、それを押し付ける人すら現れる。いわゆる「あなたより大変な人はたくさんいますよ」クソリプだ)

自分を大切にできないでいた結果、気づかないうちに心も身体も消耗する。まるで我慢くらべ大会だ。

自覚がなくて、身体が先に悲鳴をあげることもある。

私はタフだとよく言われていて、リモートワークになっても、出社しないまま異動して寂しさや戸惑いがあっても、淡々と乗り越えられたし、自分でも、私は大丈夫と思っていた。そんな最中、めずらしく生理不順になり、心配になって病院に行くと、ストレスとのこと。今まで一度もなかった体調の崩し方をするほど、実は痛みを抱え込んでいたのだと反省した。

みんな、自分の痛みと他人の痛みを比較している。でも本当は、菅波先生の言うように「誰にでもなにかしらの痛みはある」のだ。それを自覚していない人もいるし、軽んじてしまう人もいる。

痛みはどこまでいっても主観的なものだ。本来、他人と比較する必要はなく存在するはず。

私は、私の痛みに気付いてあげられる、絶好のポジションにいる。だから、耳を澄ませて、心や身体の声を聞かないといけない。不必要に他人と比べずに、自分の痛みを労ってあげないといけない。

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同じように他人の痛みにも向き合うことが、痛みの我慢くらべからの卒業の糸口になるんじゃないだろうか。

「あなたの痛みは僕には分かりません。でも分かりたいと思っています。」
 「僕は、あなたが抱えてきた痛みを想像することで、自分が見えてる世界が2倍になった。」

菅波先生のように、他人の痛みを理解しようとすることで、思いやりが生まれると思う。そうして見える世界が広がると、人はもっとやさしくなれるのだと思う。やさしい人は、きっとそうやってできている。

このnoteを書きながら、ふと「あの人よりマシだよ、よかったね」と安易な慰めをしてしまった記憶が蘇り、恥ずかしくなった。1mmも慰めになっていない…。そんな私からは脱却できていると信じて、自分にはとても難しいとはわかっているけど、他人の痛みを理解しようと努めたい。


失恋すると優しくなれる、というのは巷にあふれる雑誌やまとめサイトの触れ込みだ。(だからって失恋したいとは思わないけれど)

たしかに、他人と同じ痛みをもつことは、他人の痛みを理解する手っ取り早い方法かもしれない。自分の中にあるのだから、理解はしやすいし、自分と同じ経験をした人になら話してもいいかな、と思うことは自然だと思う。

痛みは、バネにもなる。

私は、とても恵まれた環境で過ごしてきたと思う。大きな病気をすることもなく、大きな挫折をすることもなく、ごく平凡に恵まれて生きてきた。だから、神野さんの「傷ついた経験、そう言うのがある人は強い」という気持ちはわかってしまった。

たしかに、傷ついた経験をバネに、強い目的を持って必死に闘っている人を知っている。痛みは時に、人を強くするかもしれないと思う。自分も傷つきたいとは思わないけど、まっすぐに、揺るぎない確信をもって突き進める強さを、少しうらやましく感じてしまうことがある。

だからといって、傷ついていないのを色んなことの理由にするのは甘いと、きびしい菅波先生の台詞にもあった。

「傷ついたことのある人間の方が共感性が高いとか、それも一理あるとは思いますが、自分の怠惰の言い訳にその論理を持ち出す人間を僕は許せない。」

私たちは、相手の痛みを理解しようと努めることができる。そうやって補っていけばいい。

それにもし、自分が他人より恵まれていると思うなら、ナツさんの言うように、それは素晴らしいことだ。

「神野さんが今まで心からハッピーに生きてこられたんだとしたら、それはすばらしいことよ。神野さんがそういう力を持った人だったんだし、周りもすてきな人たちだったんだと思う。」

私はまだまだ未熟だ。自分の環境に素直に感謝して、自分の痛みに気づくことから始めよう。身近な人の抱える痛みから、逃げないことから始めよう。

菅波先生に、怠惰と言われてしまわないように。

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