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アルコールと自己肯定感

酔っぱらうと、その人の本性が出る。
よく言われる話だ。
酔ったときに乱暴になる人とは絶対に付き合ってはいけない。
酔ったときのやらかしエピソードを自慢げに語る人とは距離をとるべきだ。
酔っぱらって帰ってきた夫に甘えたら、
「自分は妻以外とスキンシップしない」と言われて惚れ直した。
などなど、酔ったときの態度を見てその人に対する評価を下すことは多い。
思うに、アルコールが入ると心のねじが緩んで、普段出てこないような自分が出てくるのだろう。
酒で豹変する人はねじを堅く締めている人だ。たぶん。

私は小学生の頃から、「自分は酒と男と車絡みだとロクなことにならないだろうな」という予感がしていた。
そしてそれはまあまあ当たっている。
警察沙汰にはならないものの、酒癖は悪いし男グセも悪いし、
車は3年で2台廃車にして3台目だ。

どうして酒癖が悪いと言われるのだろう。
実際に言われたことのある、酔った私を表現する言葉として
「ヤンキー」「種オス」などが挙げられる。
絡みつつ過度なスキンシップを取っていくという、シンプルな酒癖の悪さだ。
最近はさすがに種オス化することは減ったけど、スキンシップを取りたがることには変わらない。
だから大勢の飲み会で私の酔い方を見ている人にサシで飲みに誘われたときは、その先を見越して飲みに行くか行かないか決める。
起きたら知らない男と裸で寝てた、みたいなのは今のところないけど、
ニアミスみたいなエピソードはある。笑
これは女子相手には発動しないから余計タチが悪い。
女子相手のときは絡み欲とスキンシップ欲が全部口に集まり妖怪ベラベラ女が生まれる。
いつも話聞いてくれてありがとうございます。

お酒が入った時の姿が本性なら、私の本質はヤンキーで男好きということになる。
そうなの?私の本性、ヤンキーで男好きなの?笑
と思っていろいろ考えてみたら、酔っぱらってつぶやいた記憶のないツイート「自分で自分を肯定しないと」にヒントが隠れていた。
私は自己肯定感が基本的に低いのだが、酒を飲むと自己肯定感が高くなるのだ。
ぶりっこになり、攻め気味のスキンシップを取る。だって私かわいいもん。
多少オラつきもする。今の私は怖いものナシ!
そういうことだ。言ってしまえば「酔って気が大きくなっている」ということなんだろうけど、飲んでいるときだけは素直に自分のことが好きになれる。

もともと自己肯定感は低いほうではなかった気がする。内面的には。
母親は私を基本的に褒めて伸ばしてくれた。
あるとき「世の中には、絵が上手な人もいれば、スポーツが得意な人もいるのよ」と教えた母に対して幼稚園児の私は「じゃあ(どっちもできる)こぶたぬちゃんはスゴイね!」とにっこりしたらしい。
このときはさすがに母親も褒めすぎたかと反省したそうだ。
こぶたぬちゃんはスゴイ、と思っていたので自分の考えは正しいに決まってる、と思っていろんな人とぶつかった。
小学校高学年になり、そんな私に対する評価は「自己中」ということになったようだ。
もう何がきっかけかもよく分からないが、いじめられた。悪意の対象になるのがこんなに恐ろしいことだとは知らなかった。
今でも傷は癒えない。
まあ確かに実際は大した才能ないくせにイキって周りにいい顔ばっかりしてたらなんか気にくわないかもしれない。
自己肯定感を低くするのに、このいじめは十分だった。
以来、私は嫌われるのを恐れて、嫌われないような、怒られないような選択肢を取るようになった。

確かに母親は私をよく褒めてくれた。
しかし、よく考えてみると、見た目で褒められたことはそんなになかった。
習っていたダンスの発表会でも、「どうだった?」と聞くと「腕もしっかり上げられてなかったもの、あんたは小さいんだから手足を大きく動かさないと」と返された。
なにより一番大きかったのはあの頃の「痩せ信仰」みたいな空気だろう。
私が育った環境は「そんなことないよ〜!」に満ちていて、
足が短いとか目が小さいとか、みんなの持つ価値観に対してネガティブな要素は「そんなことないよ!」という言葉で、ないものにされた。
その共通の価値観の中で最も絶対的だったのは、
「体重は1グラムでも軽い方がいい」というものだった。

思い出深いエピソードがある。
友達4人で遊園地に行ったときのことだ。
入場券はリストバンドタイプで、ベルトのように穴が開いていた。
ひょんなことから腕の太さの話になった。
「いやぁ私なんてデブだし」と自虐するや否や「そんなことないよ!」が飛んでくる。
そこで誰かが「じゃあ、リストバンドの穴の位置を見せ合おうよ。きっと変わらないよ!」と恐ろしい提案をしてきた。
ちなみに彼女はモデル体型もモデル体型、Tシャツとデニムがいちばんキマるようなタイプだ。
すかさず別の友達が「そこまではしなくていいよ〜笑」と返し、手首の太さ比べはナシになった。
私は自分の太さが晒されなかったことに安心し、同時に「やっぱりみんな私が太いって思ってるんじゃん」と傷ついた。
この痩せ信仰は厄介で、私はずっと悩み続けた。
周りと大して変わらない生活をしているのに、なぜ私だけが太っているのか?
今は他にいろんな信仰があることを知ってかなり落ち着いたけど、
それでもたまに「なんで私だけこんな食事制限して嫌いな運動しないと人並みの体重になれないんだろう」と落ち込む。

痩せ信仰から私を救ってくれたのは、高校で出会った塾の男の子だった。
この塾は私にとって初めての共学の世界であり、男の子との交流の場だった。
mixiが大流行していたことや、持ち前のネットストーカー技術を駆使して笑、私はどんどん男の子の友達を増やしていった。
男の子との交流は新鮮で楽しかった。
そんな中でいつものように「痩せなきゃな〜w」とメールすると、「痩せたらこぶたぬちゃんじゃないでしょ」と返ってきた。
衝撃的だった。痩せなくてもいいって言う人がいるんだ。
大学に入学して、女子と男子の好む体型には乖離があることを知った。
女子校時代、クラスメイトにたまに言われていた「たぬちゃん抱き心地いい〜☺️」というのが結構な武器になることも。

このあたりから自己肯定感は少しずつ上がっていったけど、大学4年で付き合った男がモラハラ気質で「お前はダメな女だ。ダメなお前と付き合ってあげてる俺に感謝しろ」という洗脳を受け自己肯定感は下がっていった。
3年経って別れた頃には私は居酒屋で好きなメニューも頼めない、着たい服も自分で選べない女になっていた。ウケる。

こんな風に長々と語ってきた背景があり、私の自己肯定感は低め安定となっているようだ。
本当は自分のことは嫌いじゃない。
仲良くしてくれる友達も多いし、仕事もそれなりにやっていると思う。
甘やかしてくれる彼氏もいる。
それでもなんとなく自分を肯定しきれない。
そこにアルコールが入ると気持ちが緩んで、思いきり自分のことを肯定できるようになるんだなあ。
飲酒時の言動の根本が分かったところで酒癖の悪さは改善しないのだが、まあ、少し、自分のことがわかったような気がした。
最近はとにかく水を飲むようにしています。

さて。
いろいろ考えて自分なりに納得し、インスタを眺めてびっくりした。
当時のいじめ主犯格が、投稿したストーリーの画像の端っこに「ぱぱまま私を自己肯定感高く育ててくれてありがとう😊💕」と書いていたのだ。
世の中は残酷なもので、いじめられた側が失った自己肯定感を取り戻すべく
せっせとアルコールを摂取してグズグズ考察しているというのに、いじめた側はSNSで自ら発信できるくらいの自己肯定感を保って幸せに生きている。
SNS上でのつながりなんて、タップひとつで解消できるんだけど、なぜだか切れずに今に至る。

参ったなあ、と思いながら私は昨日も、今日も、明日もお酒を飲むのであった。

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