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虐待されていた友達が死んだ日③

あれから何年も経ちますが、花火の時期になるとアミちゃんの事を思い出します。

10年以上経って、ようやく心の中のモヤモヤに整理がついてきました。

そもそも私の心の中のモヤモヤ…何についてモヤモヤしているのかさえ最初はわかりませんでした。

あの日お通夜で大声で泣いていたお母さん。

私はアミちゃんの味方でいたいから、あの日はお母さんの泣いている姿に対して怒りが大半をしめていたけど…それでも私は肌で感じてしまったのだ。


お母さんは多分、本気で泣きじゃくっていた。

その姿はアミちゃんがいなくなった事が、どうしようもなく悲しいからだ。

棺の中のアミちゃんの服や、場所についても愛情が感じられた。

よく着ていた服を着せて見送る事にしたといっていたし、本当に何とも思ってないなら、もっともっと質素に小さく済ませる事も出来たんじゃないか?

世間的には18歳でこの世をさってしまうなんて、自殺したと感じる方が多いだろう。ご近所で噂話だってされるかもしれない。

自分をよく見せたいとか、なんとも思っていなかったらあんな風にお通夜をするだろうか。(お通夜にはそれなりに人がきていた印象でした。)


とても、プライドが高くて自分は立派な母だったと見せたいだけで、そこまでしているとは到底思えないその状況が、ひどく私を混乱させた。

何年も、あれはなんだったのか自分の中で答えが出せないでいたし…心の中にあの日の事がつっかえていた。


そこに、ヒントのような出来事があった。

私は帰省をすると、寝る前にお母さんとよく昔の話をしたりする。

まさにそんな時、『お母さんも、あんたが小さい頃いろいろ余裕がなくてねぇ…叩いた事もあったわ。ごめんね…』と言ったのだ。

しかも涙を流しながら。

それを聞いた私は

『え?そんな事あったっけ?…正直全く覚えてないし、何も気にする事ないよ!』

って返した。ほんとに覚えていない。

そんな風に思い出して悔やむほど、お母さんは気にしていたのだと…それが逆に悲しくなったほど覚えていなかった。

うちのお母さんは、私が『あの時さぁ…こんな事があったよね!w』と言ってもほぼ覚えてない。『そうだっけー?よく覚えてるねえ』と言われる事がほとんど。

そんな人が、自分のした事にいつまでも罪悪感を持ち続けている。相手は覚えてさえいないのに、だ。


そこで、私はどうして覚えていないのかを考えてみた。子供の頃の事なので、あくまで予想にはなっちゃうのですが。


あまりにも小さい頃で、単純に覚えていない。(何歳頃だったかは忘れたとの事だった)

度合いの問題(あくまでしつけの範囲が守られていた)

どうして叩かれたか(怒られたか)理由がわかっていたから。

叩かれた事以上に、愛情を感じていたから

ここら辺なのかな。と。

きっと、アミちゃんの方には逆の事のどれかが起こっていたのかな?とぼんやり思い始めたのだ。


家族だからといって、何もかもくみ取れるわけがなく…相手は生まれてせいぜい数年…普通も常識も、良い事も悪い事も何もかも今から学んでいく所の子供が…お母さんの心の中を完璧に理解する事は普通に考えて難しいのかな、と思う。

それに対して、お母さんはどうだろう。

人として何年も生きてきたかもしれない。でもお母さんとしてはまだ数年。

どこまでいくと虐待で、どこまではしつけなのか、分からない部分はあると思われる…子供の気持ちを汲み取る事だって完璧には無理だろうと思う。

勿論虐待で死んでしまう子供が絶えない中、やりすぎの度合いは必ずあるわけで…それはどんな風に頑張っても、悪い事であるにかわりはないと思います。


私も年をとり、結婚さえ出来ていない女ですが…母親になっていてもおかしくない年齢になりました。

もし、子供が出来ていたら…自分は虐待なんてするはずがないと自信を持って言えるのか?…それはNOです。わからない、そんな風に想像します。

絶対なんてありません、理想通りにすすむ事なんて、ほんの少ししかありません。

きっと、アミちゃんの方は命はあったものの…若くして実家を離れるほどだったのですから、度をこえていて虐待の域だったのでしょうし…

逆にお母さんは、そこまでの事とは…もしかしたら認識していなかったのかもしれません。(それはどこまでいっても、本人にしかわからないと思いますが。)


そして二人はこじれ、歩み寄りも果たせぬまま一生のお別れになってしまったのかな…と10年以上経ってぼんやり答えが出ました。


アミちゃんの場合、あんな風に泣くという事は、お母さんに愛情は確かにあったのだと感じました。

必ず仲良くするべき!という事ではありません…どんなに血がつながっていようと、人と人なのだから相いれない事もあると思います。

犬猿の仲だって、相手がこの世界にいてこそなのです。アミちゃんはそれすら出来ない世界へ旅立ってしまった。


人は、どんなに若くて元気でも…いつどんな形で一生会えなくなるかわかりません。

親子関係に限りません。友達関係や恋人、旦那さんや奥さんでもそう。

どんなに仲が良くても、深い仲でも、ぶつかり合ったり、とんでもない言い合いをして何日も口をきかない事だってあるでしょう…

どうせまた会えるからといって、何となくそのままにしている事はありませんか。いつか話せばいいや、そのうち言おう…なんて事はありませんか。

ずっといる事が当たり前じゃない事を、時々思い出してもらえたらいいな…と思います。


この記事は、虐待の度合いなど一切わかりませんし…お母さんの本心や、アミちゃんの心の中も結局深くはわかりません。

決して美しい話でもハッピーエンドでもありません。

ただ、傍観者として感じた事をまとめる事で、古傷が少し癒える方や、今家庭環境に悩んでいる人、人との接し方について感じてもらえる事もあったらうれしく思います。

最後に…良い事や悪い事の区別がつかない子供に対して、怒ってますよ!と、ぽん!とする事はあったとしても、もう良い事や悪い事が口で言われれば理解出来るのに過剰な暴力を受けている方、DVを受けている方などなど…すぐに頼れる所へSOSを出したり、逃げてください。

愛情があるから、本心からの悪意ではないから、自分に原因があるからといって、何でも許されるという事はありません。


それでは、最後まで読んでくださりありがとうございました。

お腹いっぱいシャウエッセンが食べたいです。